ぷかぷか日記

筑豊の「虫の家」で上映会とお話

 7月21日(土)13:30〜16:00 福岡県の筑豊にある筑豊共学舎「虫の家」(福岡県鞍手郡小竹町大字御徳167番地の30)で「相模原障害者殺傷事件2周年・追悼の集い」があります。そこでぷかぷかのプロモーションビデオカナダ版の上映と相模原障害者殺傷事件についてトークセッションします。問合せは09496−2−6003 

gujinan@utopia.ocn.ne.jp

 

 「虫の家」のホームページです。私たちの「障害」観は、短い文章ですが、本質的なところをズバッと書いています。

mushinoie.webnode.jp

 ここの代表の高石さんが去年の11月、北九州市で行った上映会とトークセッションに参加したことがきっかけで、今回の企画が立ち上がりました。その高石さんの思いは

 

  みんな“ぷかぷか”になれたら素晴らしい

                                 髙石 伸人

 高崎明さんが最初に「虫の家」に来られたのは1999年の夏でした。その際にエアコンを設置したので覚えています。当時、養護学校のセンセイであった高崎さんは、既に「全国ボランティア研究集会」などでワークショップのファシリテーターとして活躍し、全国区の名の知れた人でした。「虫の家」に来られたその時も、水俣で胎児性の若い患者の皆さんとワークショップをやった後、横浜に帰る途中で立ち寄ってくれたのだったと記憶しています。

 「虫の家」は1986年にポリオや脳性マヒの青年たちを中心に「街に出よう、街を変えよう!」をテーマに、「自立生活センター」をモデルにして始めた、いわば地域活動拠点(たまり場)でした。ボクは当初からソーシャルワーカーとして、会の事務局的な役割を担ってきたことから、たまたま条件が上手く転んで、自宅敷地を拠点建設の用地として提供する羽目になりました。それから32年、今では半数以上が代替わりして、8人の知的障害のメンバーを中心に、法律上の「地域活動支援センターⅢ型」の運営を柱に、ハンセン病資料室の開設や人権問題の学習会を開くなど、筑豊ではちょっと知られたNPO団体です。

 そんなボクたちにとっても、一昨年に起きた「相模原障害者殺傷事件」は衝撃的でした。これまで自分たちが問いかけてきたことが何だったのか、改めて、考えさせられる出来事でした。深い霧の中にいるような気分が続いているある朝、某テレビ局のニュース番組に横浜の「ぷかぷか」の日々が映し出されていて、あの飄々とした、自身が「ぷかぷか」そのものの高崎さんの、当時よりちょっと老けた懐かしい顔が何度も画面に登場したのでした。その前後に、朝日新聞の全国版でも紹介され、昨年は北九州での「映画と講演のつどい」で話を聴く機会をいただきました。「障害者を街の宝に」という願いの詰まった「ぷかぷか」の実践にこそ、相模原事件に対抗する、あるいは根っ子にあるものを溶解させるヒントがてんこ盛りなのだと気づかされたことです。生の高崎さんから届けられる「ぷかぷか」なメッセージを近隣の皆さんとも分かち合って、事件の本質にどのように向き合うかを考えていきたいと思います。是非、ご参加ください。

                (NPO法人ちくほう共学舎「虫の家」事務局長)

 

 というわけで、「虫の家」でぷかぷかの映画とお話をします。できれば高石さんと相模原事件をテーマにトークセッションができたらと思っています。あまり硬い話にならず、ゆるっとゆるむような話になれば、と思っています。

 先日ぷかぷかの近くで障がいのある人たちのグループホームの反対運動がありました。「障害者はここに住むな」「障害者はここにはいない方がいい」といってるわけで、これは「障害者はいない方がいい」と言っていた相模原障害者殺傷事件の犯人の考えと全く同じです。障害者がここに住むと犯罪、特に性犯罪が心配、といった声もありました。説明会に私も参加しましたが、もう話し合いでどうこうなる雰囲気ではありませんでした。

 「障がいのある人たちのことを知らない」「おつきあいがない」というだけなのですが、たったそれだけのことがここまで人と人を分断してしまうのです。相手の話を聞きながら正直悲しくなりました。

 で、思いついたのが、その地元の子ども達を相手にぷかぷかさん達と一緒にパン教室をやることでした。パン教室は単純に楽しいです。子ども達は大喜びでした。そこに当たり前のようにぷかぷかさん達がいました。

pukapuka-pan.hatenablog.com

  相模原事件を超える社会は、優生思想云々のむつかしい話をするのではなく、こうやってお互いが楽しいねって思えるような関係をコツコツ作っていくことだと思います。

 

 

 ぷかぷかはできて8年目になります。その間、たくさんのファンを作ってきました。「ぷかぷかさんが好き!」というファンは、「障害者はいない方がいい」という相模原障害者殺傷事件の犯人と正反対の位置にいます。正反対の位置するような人をどうやって作り出したか。

 ファンを作るコツは障がいのある人たちを社会にあわせたりせず、そのままでいてもらうことです。ぷかぷかはできた当初、接客の仕方がわからず、講師を呼んで接客の講習会をやったことがあります。何のことはない「接客マニュアル」通りやりなさい、ということだったのですが、マニュアル通り振る舞うぷかぷかさんの姿が気色悪くて、もう一日でやめました。で、どうしたかというと、もうマニュアルなんか使わず、ぷかぷかさんそのままで行こう、ということにしたのです。

 決して接客がうまいわけではないのですが、ぷかぷかに来るとなんかホッとする、と言うお客さんがたくさん現れました。接客マニュアル通りやるとか、社会にあわせるとかしなくて、彼らのそのままの姿にファンがついたのです。

 「障害者はいない方がいい」といわれた彼ら自身が、彼らのそのままの姿でファンを作り、相模原障害者殺傷事件を超える社会をコツコツ作っているのです。ともすれば「優生思想」云々と硬い話に終始する私たちよりも、はるかに確実に社会を変えているのです。そのことに私たちは気がついた方がいいと思います。

 

 

 事件後「障害者を守る」という動きが活発になりました。「守る」というのは「囲い込む」ことであり、「生かさず、殺さず」になってしまいます。

 「ぷかぷか8周年」にも書いているように、ぷかぷかは外部とのコラボを通して、ぷかぷかさん達と一緒にどんどん前に進みます。守るどころか、垣根をどんどん取っ払って、新しい価値を創り出そうとしています。彼らがいてこそ、社会は豊かになる。そういったことをたくさんの人たちと共有したいのです。

 こういったことをやり続けることが相模原障害者殺傷事件を超える社会をダイナミックに作っていくのだと思います。

  ダイナミックに作っていく、いい言葉ですね。それくらい元気にやりましょう!

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

 

 

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