今朝「セノーさんの時間」について書きましたが、セノーさんに限らず、ぷかぷかさんたちはみんないい時間、心地よい時間を作ってくれています。
お店が始まって間もない頃、こんなメールがたくさん入りました。
「なんかゆったりとした空間で、すごくよかった」
「ムリに作り出そうとしているものではなく、自然な空間。自然な静かな時間の流れ…自然に伝わってくる空気感。友達との話もゆっくり、じっくり出来ました。」
「ひさしぶりに、今日はやわらかい時間を過ごさせていただきました。」
「中で働いているユミさんが「すごいねー、いっぱい食べるねー」と厨房に話しているのが微笑ましく、明るい彼女にひとときの幸せをいただきました。」
開店してすぐの頃なので、まだセノーさんはいません。それでもこういう時間が生まれていたのです。
「なんかゆったりとした空間」「自然な静かな時間の流れ」「やわらかい時間を過ごさせていただきました」「ひとときの幸せをいただきました」
表現方法はいろいろですが、ぷかぷかさんたちの作り出す「宝のような豊かな時間」をみなさん味わったのだと思います。
時間がかかるとか、効率が悪いとか、生産性が低いとかで障がいのある人たちは社会から排除され、「時間がかからない」「効率がいい」「生産性が高い」方向を目指して「指導」され、「支援」されます。
でもこういう方向からは、お客さんの味わった「豊かな時間」は決して生まれません。
結局のところ、私たち自身がどういう生き方をしたいのか、どういう社会を目指すのか、というところにかかっていると思います。
昨年暮れに『pukapukaな時間』という冊子を作りました。ぷかぷかさんたちといっしょに生きることで生まれた時間をビジュアルに表現した冊子です。ゆったりとした豊かな時間がそこには流れています。相模原障害者殺傷事件を生むような病んだ社会を救う時間がそこにはあります。
息苦しい社会に向けた、私たちの精一杯のメッセージです。『pukapukaな時間』はまだたくさん在庫があります。ぜひ手に取ってみて下さい。ホッと救われたような気分になります。