「障害のある人の暮らしの場づくりと反対運動について考える」と題した講演会が東京であったようです。「暮らしの場」は「グループホーム」のことです。講師は大阪市立大学の方です。
こういう集まりが開かれるのは、やはりあちこちで障害のある人のグループホーム建設に対する反対運動があるからだと思います。
相模原障害者殺傷事件を受けて、世の中、少し変わるのではないかと思っていましたが、全くの幻想でしたね。事件に象徴される、障がいのある人たちが排除される社会が、事件後もずっと続いているということです。そんな社会と私たちはどう向き合うのか、ということです。
私は養護学校の教員をやっているとき、障がいのある子ども達に出会いました。いろいろできないことがあったり、とんでもないことをやってくれたり、それはそれは大変な子ども達でしたが、それでもよおくつきあってみると、いいやつだなぁ、としみじみ思うことがたくさんあって、ずっとそばにいたいと思うようになりました。最初に受け持ったサト君の話です。
最初に受け持ったサト君は、小学部6年生。まったくおしゃべりのできないサト君は、それでもこちらのいうことや、やることは大体わかっていたのか、何やっても「ゲハハ」「ガハハ」と大笑いで反応してくれました。教員になったばかりで、下手くそな私の授業も「ゲハハ」「ガハハ」と笑い転げ、手をたたいて喜んでくれたのです。
トイレで大きなうんこが出たと私を大声で呼び(わーわー騒いでいるだけですが…)、サト君の代わりにレバーを押して(サト君はそういうことができませんでした)うんこを流すと、ただそれだけで「ゲハハ」「ガハハ」と豪快に笑っていました。箱根に修学旅行に行ったときは、その大きなうんこが船のトイレに詰まって水が流れなくなり、悪戦苦闘しているうちに船のクルーズは終わってしまったことがありました。でも、サト君は悪びれた様子もなく、大きなうんこと悪戦苦闘している私のそばで、ずっと「ゲハハ」「ガハハ」と笑い転げていました。なんとかうんこを流そうと必死になりながらも、もう一緒に笑うしかなくて、そうこうしているうちに一度も景色を見ないまま箱根の船の旅は終わったのでした。
サト君は、重度の障害児であり、何やるにしても手がかかる人でした。それでも抱きしめたいくらい魅力ある人でした。養護学校で働き始めて、最初に担任し、その魅力で私の心をいっぺんにわしづかみにした子どもだったのです。
そばにいるだけで心が安らぎ、幸せな気持ちでした。重度の障がい児と言われるサト君のそばにいて味わうこの幸福感は一体何なんだろうと思いました。
その幸福感の中で「障がいのある彼らは劣っていて、私たちは優れている」という人間を見る価値観がぐらつき始めたのです。今まで、優れているはずの健常者のそばにいて、こんな幸福感は味わったことがありませんでした。そばにいるだけで人を幸せな気持ちにさせる彼らって、本当はすごい人たちじゃないかって、思いました。
こんな出会いが養護学校ではたくさんありました。いつしかこの人たちとはいっしょに生きていかなきゃ損!と思うようになり、定年退職を機に「ぷかぷか」を立ち上げました。
日々発信している「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」のメッセージは、彼らとの素敵な出会いがあったからです。
学校と違い、ぷかぷかは日々社会と接しています。社会の中で彼らがやっていることの意味が、学校にいるときよりも鮮明に見えてきました。ぷかぷかをやっていく中で、彼らは社会を耕し、社会を豊かにしていることに気がついたのです。ぷかぷかが作りだしてきたものを見てもらえば、すぐにわかります。最近でいえば『pukapukaな時間』です。
障がいのある人たちのグループホーム建設計画に反対運動が起こるような社会には、この『pukapukaな時間』こそ必要な気がします。
私が私らしくいられる時間、私が自由になれる時間、私が元気になれる時間、私が自由になって、ステキなあなたと出会える時間、ステキな彼らと出会える時間、私が豊かさを感じられる時間、それが『pukapukaな時間』です。
近々開かれるグループホームの説明会には、知らない人ともあっという間にいい関係を作ってしまうテラちゃんを連れて行く予定です。
彼らといっしょに生きていった方がトク!と相手に思ってもらうには、このテラちゃんの関係作りのワザこそチカラを発揮する気がしています。私がアーダコーダ話すよりもはるかにいい関係を作ります。テラちゃんは『pukapukaな時間』を作り出す名人なのです。