明日(もう日が変わったので正確には今日21日)、近くの霧小で2年生を相手にアーダコーダの子ども哲学のやり方(対話を通して物事の意味を深く考える)で、「障がいってなに?」「いっしょに生きるってなに?」といったことの意味を子ども達といっしょに考えてみようと思っています。
そのことで今日、担任の先生たちと打ち合わせをしてきました。
まず子ども達に『いっしょにいると 心ぷかぷか』子ども版のビデオを見せる。子ども達に感想を言ってもらう。そこで出てきた子ども達の言葉を紡いでいく。どうまとまるかはわからない。大人がまとめようとしない。何か結論を出すことではなく、子ども達が対話をし、それを通して深く考えることを大事にする。私から障がいのある人たちのことを一方的に話すことはしない。対話をすすめるための質問はするかも知れない。子ども達がざわざわしても、担任の先生たちは「静かにしなさい」みたいなことはいわない。ざわつくのは対話の集中が途切れた証拠。「静かにしなさい」では解決しない。対話の場はこちらが作るので、こちらに任せて欲しい…
といったことを確認しました。
支援級の子ども達もいっしょに、と思っていましたが、話題によっては、「この人たちのこと?」と本人を傷つけるような展開になる可能性もなきにしもあらずなので、とりあえず明日はほかの授業に出てもらうことにしました。あとで今よりいい関係になればいいと思いました。いや、きっといい関係になると思っています。そのための明日は対話です。今より、もっといい関係になって、お互い今よりもっといい人生を送るためです。
その支援級の子ども達の関係について聞きました。障がいは軽い方なので、わりといい関係で、みんなやさしくて親切だそうです。
対話の様子を見ながら「どうして彼らに対してやさしくするの?」「何かトクすることがあるの?」「彼らがいない方が勉強が効率よくできるんじゃないの?」といったちょっといやな質問もぶつけてみようと思います。
ムキになってその質問に答えてくれたら成功!です。支援級の友だちに対して、どうしてふだんやさしくしているのか、それを考えて欲しいなと思うのです。先生に言われたからなのか、それとも自分から自然にそうやっているのか。自分からやっているなら、どうしてやさしい気持ちになるのか、を一生懸命考えて欲しい。言葉にするのは多分むつかしい。でも、問題の核心部分なので、一生懸命考えて欲しい。更には、彼らがいっしょにいる理由も。 そういうことをそれぞれが深く考えるアーダコーダの子ども哲学です。