近所の小学校から毎年子ども達が「街探検」にやってきます。お店のことをいろいろ調べに来るのです。その学校の先生から、子ども達にぷかぷかの話をして欲しい、という依頼がありました。「街探検」では、パンは一日何個くらい焼くのか、何種類くらいのパンを焼くのか、といったことは調べても、どうしてぷかぷか、つまり障がいのある人たちの働く場が街の中にあるのか、といったことまでは調べません。そのあたりの話をして欲しい、ということのようでした。
大人向けに話をする機会は多いのですが、子ども向けは初めてです。どういう言葉でぷかぷかのことを語れば子ども達に届くのか、ということですが、私が一方的にぷかぷかのことを語るより、子ども達自身で街の中にあるぷかぷかのことを語ってもらった方がおもしろい気がしています。
最近注目を浴びている「アーダコーダの子ども哲学」のやり方でやると、きっと今までにない新しいものがでてくるのではないかと思うのです。私がいつも語るようなぷかぷかではない、新しい解釈のぷかぷかです。
何よりも未来は子ども達が作ります。ふだんの暮らしの中で、子ども達は「ぷかぷか」にパンを買いに来たり、ごはんを食べにきたり、お惣菜や弁当を買いに来たりしています。アートのワークショップやパン教室、演劇ワークショップ、運動会に参加した子ども達もいます。表現の市場を見に来た子ども達もいます。「ぷかぷか」をいろんな風に受け止めていると思います。そこから語る言葉には彼らが作る未来が見える気がするのです。
「子ども哲学」というのは、対話という方法で、子ども達自身がテーマを深めていく方法です。「障がい」って何?「ふつう」って何?障がいのある人たちとおつきあいすると何かいいことがあるの?「ぷかぷか」って何?といったことを子ども達自身の言葉で対話して、その意味を探っていくのです。
で、その手がかりをつかもうと、日曜日、立教大学であった「哲学プラクティス」という集まりに参加してきました。様々な形(子ども哲学、哲学カフェ、など)で哲学対話をやっている人たちが集まって、お互いの成果発表、ワークショップなどがありました。22もの講座があったのですが、「哲学ウォーク」、シネマ哲学カフェ「子ども哲 学〜アーダコーダの時間 〜」「地域で子ども哲学をしようー なんでわたしが子ども哲 学?ー」の三つに参加しました。
「哲学ウォーク」というワークショップはすごくおもしろい体験ができました。最初に哲学名言を書いた短冊を引きます。私が引いたのは
「世界の価値は、世界の外側になければならない」
という、なんとなくわかったようなわからないような哲学名言でした。ヴィトゲンシュタインという方の名言だそうです。これを頭に入れて街の中を歩きます。日曜日は雨が降っていたので、立教大学の構内を歩きました。歩いているときは終始無言です。自分の名言を表現している場所に来たと思ったら「ストップ」をかけ、全員を止めます。10人くらいいました。どうしてその場所が名言を表現しているか説明します。ほかの人はその説明に対し、哲学的な質問をします。説明した人は質問の中からひとつ選び、歩きながら答えを考えます。最初の教室に戻り、答えをみんなの前で発表します。
「世界の価値は、世界の外側になければならない」は、言葉でその意味を追求し始めると、もう言葉の迷路に入り込んでしまって、にっちもさっちもいかなくなります。
でも、その名言を表現している場所を探す、というのはどこまでも直感で探すので、なんかわくわくしながら探しました。
私は構内から出る門のところで、「ストップ」をかけました。門が世界の内側と外側を表現しているように思ったからです。大学の門の内側では、アーダこーだと真理を探究しています。でも本当は門の外側にこそ、世界の価値があるのではないかと「勝手に」思ったのです。
「勝手に」ですから、ひょっとしたら間違った解釈かも知れません。でも、そのことを問いただすわけでもなく、自分の思ったことを自由に話せる雰囲気がとてもいいと思いました。何よりも仕事や生活に追われて、ふだん考える機会のない
「世界の価値は、世界の外側になければならない」
なんていうむつかしい言葉について、楽しく考えられたことがよかったなと思います。久しぶりに頭を使ったなという気がしました。頭の、いい体操でした。
シネマ哲学カフェ「子ども哲 学〜アーダコーダの時間 〜」のワークショップは映画を見て、そこで感じたことを語り合う集まりでした。
映画は子ども達がいろんなことをテーマにあーだこーだとひたすら対話している映画でした。ただそれだけの映画なのに、妙に心が洗われるというか、見終わったあと、とてもいい気持ちになれました。子ども達の世界へのふれ方がとても新鮮で、言葉を聞いているだけで、新鮮な気持ちでもう一度世界を生き直すような、そんな楽しさがありました。こうやって子ども達はわくわくしながら世界と出会っていくのだと思いました。そのわくわく感がとてもよく伝わってくる映画でした。
「地域で子ども哲学をしようー なんでわたしが子ども哲 学?ー」は子ども哲学をやっている六つのグループの実践発表でした。女性は全員が自分の子どもから出発していました。学校に任せていたらとんでもないことになる、といった危機感は、みんなが共有できる危機感でした。
子ども哲学をやったからって、学校のどうしようもない状況が変わるわけではありません。でも、それを超える新しい世界ができあがってくる予感はありました。
「障がいのある人たちのこと」「ぷかぷかのこと」をアーダコーダの子ども哲学で語ると、どんなことが見えてくるのだろうと、とても楽しみになりました。