今朝の神奈川新聞の「時代の正体」は福祉の視点から今の政治状況を語っています。
《排外や排他の空気が社会に漂う中、強権的な政治が対外的な危機をあおり、人々の不安や憎悪を駆り立てている。障害者の存在を否定し、排斥したあの凄惨な事件は「時代の気分」から生まれたと思えてならない。》
一つまちがえると恐ろしい方向に走り出す「時代の気分」を和らげるのもまた、障がいのある人たちだと思います。
カナダでの上映会の時、テラちゃんはアメリカから来た女性の隣に座り、いつものように女性の腕をなでていました。女性は上映後、ぷかぷかのメッセージにある、
「障がいのある人たちと一緒に生きると、社会が豊かになる」
という言葉を実感させる人が隣に座っていました、なんてステキな人なんでしょう、と感想を述べてくれました。テラちゃんは隣に座って腕をなでていただけですが、女性を感動させるほどの存在ぶりだったのです。
後日、女性のFacebookには
「人生でもっとも愛する経験の一つだった」
と書いてありました。
ぷかぷかはこうやって社会を耕しています。「時代の気分」が少しでも変わるように。
一点だけ、《事件後、「障害者は不幸しか作らない」という考えへの反論として、障害者の家族からは「周囲を笑顔にしたり幸せにしたりしてくれる障害者も人の役に立っている」との声が相次いで上がった。存在を否定されたことへの反発と怒りの言葉なのだと思う。》の箇所。
《周囲を笑顔にしたり幸せにしたり…》といったことは、事件とは関係なく、ふだんからそういうことはいっぱいあります。私が養護学校の教員時代に彼らに惚れ込んだのは、彼らのそばにいるだけで幸せな気持ちになれたからです。そこにこそ彼らが社会に必要な理由があると思っています。「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファンです」という方がたくさんいるのも、そういう幸せな気持ちを味わっているからだと思います。そうやって「社会を耕す」という大事な仕事を事件のずっと前からやっているのです。
《存在を否定されたことへの反発と怒りの言葉》としてだけ受け止めてしまうのは、もったいない気がします。
《排外の行き着く先は何か。命をなきものにしてかまわないという戦争に近づいてしまうのではないか。人を人と思わずに障害者19人の命を奪ったやまゆり園事件は、この国が戦争への道を歩んでいる予兆に思えてならない。》
安倍首相はやまゆり園の事件後、ひとこともメッセージを発しませんでした。世界各国からお悔やみのメッセージが届いている中で、社会的弱者のことを全く考えない人だと思いました。そういう人がやたら危機をあおり、日本を引っぱっていこうとしています。怖いことだと思います。