ぷかぷかさん達といっしょにやってきたワークショップの場は、人々がみんな元気になり、新しい物語を生んだ「広場」だったのではないかと、オペラシアターこんにゃく座の「あの広場のうた」を聞きながら思いました。
♪ いまはいつだろう いつもの朝
ここはどこだろう いつも場所
いまはいつだろう いつもの夜
ここはどこだろう いつもの場所
でもどこかちがう
ここはどこかに似ている
おとなもこどもも 犬も鳥たちも
虫たちも集まる あの広場みたい
耳をすませば見えてくる
目をみはれば聞こえてくる
少しずつ 少しずつ
歌が生まれ 人は踊り出し
物語がはじまる あの広場がここに
昔 広場に一本の柱
ここに立てよう 目には見えない柱を
昔 広場に一本の柱
ここではじまったオペラを いまここで ♪
30年前、ぷかぷかさん達とワークショップやると絶対面白いものが生まれると、演劇集団黒テントの協力で始めたワークショップの記録映画が復活しました。
1986年10月〜1987年3月の6ヶ月の記録です。「広場」がここからはじまりました。あの時、広場に一本の柱を立てたのだと思います。彼らと一緒に生きていこう、という柱。
始めた当初は、やはりぷかぷかさん達を応援しようとか、そんな思いもどこかにあって、地域の人たちも集まってくれたのですが、2回3回と繰り返すうちに、ワークショップの場の中心にいるのはぷかぷかさん達であり、彼らが場を支え、私たちを支えてくれている、ということが見えてきたのです。そして彼らがいるからみんなが自由になれ、元気になれる、ということも見えてきました。何よりも彼らのおかげで、たくさんの楽しい物語が生まれました。
ここに来ると元気になれる「広場」、自分を取り戻すことができる「広場」が、ぷかぷかさん達のおかげでできたのです。その原点ともいえる貴重な映像です。
映像をまとめたのはドキュメンタリー映像作家の四宮鉄男さんです。短いコメントと映像だけで作られています。地域の大人達、子ども達、養護学校の生徒達による演劇ワークショップの記録、とあるだけで「障がいのある人」とか「障害者」という言葉はひとこともありません。そういう人たちとどうこうしようというメッセージもありません。淡々とした記録映画です。
四宮さんは私が養護学校の子ども達を連れて武蔵野の原っぱに通っていた頃から「あそぼう会」(私と地域の人たちで作った障がいのある人たちと一緒にあそぼうよ、という会)の活動に注目していて、いつか映像にしたいと思っていました。
1時間50分もの長い映像です。前半後半に分かれていて、後半の最後に発表会の映像が入っています。ここ3年やっているみどりアートパークホールでの立派な発表会ではなく、生活クラブの配送センター2階の会議室を借りた手作り感満載の、それでいて熱気ムンムンの発表会の映像が入っています。涙を流す人もいました。
★カビだらけだったビデオを富士フイルムの技術で復活させた映像です。冒頭部分の映像が荒れていますが、あとは多少色が劣化している程度で、十分見られます。
★ 6ヶ月にわたる記録映画の途中に、ワークショップで作ったお面をかぶって原発反対のデモをやったときの映像が挟まっていました。子ども達も一緒の、極めて平和的なデモなのに、警官がしっかりついていましたね。のどかな時代でした。のどかな時代の中で、それでも原発は危ない、といっていたことが、30年後、本当に大変な事故を起こしました。人間は、この30年、何をやっていたのかと思います。
★「あの広場のうた」は表現の市場で歌います。
「みんなでワークショップ」第1部
「みんなでワークショップ」第2部