昨日ぷかぷかに見学に来られた方が感想を送ってくれました。
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お邪魔させていただいて印象的だったのは、障害の方が働いているという
特別感を感じなかったことです。
お店はおしゃれだし、ご飯はおいしかったし。そして働いているぷかぷかさん
たちも個性を生かして自然にお店の役割に溶け込まれている印象でした。
お話を伺う中で、理屈抜きに一緒にいて「得」だという話を何度もお聞き
しました。お伺いするまで、この「得」と思える感覚を理解することが
正直難しく、個人のフィーリングによるのかなと考えていました。
けれど、支援する側とされる側という話や、相模原の事件での施設の上から
目線の態度という話など、色々と伺う中で、必ずしもフィーリングに
よるものではないように思えてきています。
なかなかうまく表現できないのですが、フラットな姿勢でぷかぷかさんたちと
向き合い、彼ら彼女らを特別ひいきするわけでもなくその個性を受け止める。
その時に得と思えるのかなという気がしています。
短い時間の中でも(少しですが)個性を理解できた辻さんやせのーさんに
実際にお会いした時に、確かに面白い、楽しい、癒されるといった気持ちに
なりました。
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「得」というのは、彼らとおつきあいした方が、人生いろんな意味で「得」ですよ、といってるだけで、あまりむつかしく考えると話がややこしくなります。
人生が豊かになるとか、毎日が楽しいとか、癒やされるとか、彼らとおつきあいすると、いろいろ「得」なことがいっぱいあるのです。
いつだったか見学に来た人が、福祉の関係者で彼らとおつきあいすることが「得」だなんていう人は初めて、とか言う人がいましたが、福祉の世界の窮屈さを思いました。
「得」というのは、要するに彼らとのおつきあいを自分にとって「プラス」であることをいってるのです。あれができない、これができない、とマイナス方向ばかりの評価の中では、おつきあすることは「負担」になります。「社会のお荷物」などと言う評価も、そこからきています。
そんな中にあって、いや、彼らとおつきあいすることは自分にとってプラスなんだと言いきることはとても意味があるように思うのです。
彼らと出会って、本当に人生すごい「得した」と私は思っています。彼らとおつきあいしないなんて、もったいない話です。
「得」とか「もったいない」という感覚はすごく大事な気がしています。