カナダで上映するプロモーションビデオの最後に桜の花びらが散るシーンがあって、そこに「いっしょにいると心ぷかぷか」の手描きの文字が重なります。「ぷかぷか」のことを知っている人たちは、「ぷかぷか」という言葉で共有できるものがあるので、ここのシーンにはジ〜ンと来るものがあります。そのジ〜ンと来るものをどうやってカナダの人たちに伝えようか、関係者で悩んでいます。
「ぷかぷか」は意味があってつけた名前ではありません。宮澤賢治の『やまなし』にでてくる、クランボンはカプカプ笑ったよ、の「カプカプ」を名前にした作業所があります。そこと私はお友だちだったので、少しでも収益にしようと陶芸教室をやったことがありました。会場を借りるのに団体登録の必要があり、「陶芸クラブカプカプ」で登録していいか、一応施設長に聞いたところなぜか、困る、という返事。なんだ、こいつ、と思いながら考えたのが、カプカプをひっくり返した「陶芸クラブぷかぷか」。ほとんど意味のない出発でした。
「ぷかぷか」を立ち上げる前、7,8年くらいこの名前で陶芸教室をやり、たくさんの作品を生み出しました。中山駅前の大きな花屋さんの一角を借りて陶芸作品の展示即売もやりました。中山まつりの時は、いつも一番いい場所を商店会から提供してもらい、たくさんの人が買いに来てくれました。花屋さんに置いてある作品、いつも楽しみにしてます、と言うお客さんが何人もいました。
「ぷかぷか」をいよいよ立ち上げるとき、あちこち、こんな人たちの働くお店を今度始めます、とあいさつに回ると、「ああ、あのぷかぷかね」と受け止めてくれるくらい「ぷかぷか」は地域に定着していました。味のある陶器を作る人たち、として地域ではちょっと知られた人たちだったのです。
この時点で「ぷかぷか」は、単なる擬音語を超えて、意味のある言葉になっていたのです。味のある陶器を作る人たち、彼らの作品の生み出すほっこり、あたたかな、心のなごむ雰囲気…
そして今「ぷかぷか」という言葉にはますます磨きがかかったように思います。
ぷかぷかに関わるたくさんの人たちが、たくさんの意味を「ぷかぷか」という言葉に注ぎ込んでくれました。ホッと一息つけます、あたたかな気持ちになれます、心がなごみます、やさしい気持ちになれます、ちょっと自由になれます、自分を取り戻すことができます…。「ぷかぷか」という言葉が、たくさんの人たちとの関わりの中で、ちょっとずつ、ちょっとずつ豊かになってきたのです。
この、たくさんの人たちとの関わりの中で、「ぷかぷか」という言葉が豊かになった、というところが大事だと思います。
そして「いっしょにいると心ぷかぷか」をどう英語で表現するか。
ぷかぷかはpukapukaになります。「ぷかぷか」に意味はあっても、pukapukaには意味はありません。やはりそこは最初に説明しておいた方がいい、と翻訳を担当する辻さんはいいます。
彼らといっしょにいるとどうなのか。あたたかな気持ちになる、楽しい、なんだか自由になる、おおらかな気持ちになれる、やさしい気持ちになれる…そんなことを最初に説明する。その上で映像を見ていただくと、pukapukaという言葉が見る人の中で意味を持ってくるのではないか、というわけです。
pukapukaという言葉が、映像を見る人の中で生き生きと立ち上がってきます。映像のチカラがここで本領を発揮します。
そして辻さんのメールにあったひとことがすばらしいと思いました。
《 いずれpukapukaがそのまま世界中で通用するといいですね。》
カナダ上映会は「pukapukaがそのまま世界中で通用する」その一歩なのだと思います。