昨日の朝日デジタル版に脳性麻痺の高校生の作った詩が紹介されていました。
私たちは、ひとりひとり違います。
生まれた時、幸せを願ってつけられた名前があります。
好きな食べ物、嫌いな食べ物があります。
好きな色があります。
好きな香りがあります。
好きな音楽があります。
好きな人、苦手な人、がいます。そして、大好きな人もいます。
時々、わけもなく嬉(うれ)しくなったり、少し、寂しくなったりもします。
今日は、疲れたなー、と、思う時もあります。
楽しい!楽しい!と、思う時があります。
悲しくて、泣き叫びたい時も、あります。
……
相模原障害者殺傷事件で犠牲になった人たちはすべて匿名にされました。やまゆり園の家族会の会長の話によれば、親戚に食堂をやっている人がいれば、親族に障がい者がいることがわかれば商売に差し支える、だから匿名はしょうがない、といった話をしていました。
でも、そのために詩に書かれたような一人ひとりのかけがえのない人生がなかったことにされました。そんなことが許されていいのか、とあらためて思います。
詩のなかの、
「生まれたとき、幸せを願ってつけられた名前があります」
という言葉は心にしみました。匿名にすることで、幸せを願ってつけられた名前をも消してしまったのです。
これは家族会の問題ではなく、家族会にそういう圧力をかけてしまっている私たち社会全体が問われている問題です。
こういう社会にあって、昨日紹介した
「hanaちゃんとおつきあいしないなんて、もったいない」
という発想は光っています。社会の多くの人がこういう発想で障がいのある人たちを見るようになれば、社会はきっと変わっていくと思うのです。