ぷかぷかの取材に時々来ている毎日新聞の記者はFacebookでこんなことを書いていました。
最近、障害のあるお子さんを育てるお母さんにお話を聞く機会が多い。
どのお母さんも、
「ああ、このお母さんを選んで生まれてきたんだなあ」
って感じます。
花岡さんもその1人。
娘のhanaちゃんは、みんなで共有しないともったいない存在
「みんなで共有しないともったいない存在」という書き方がすばらしくいい、と思いました。
30数年前、養護学校の教員になってすぐ、
「こんなすてきな人たちを養護学校に閉じ込めておくのはもったいない」
と思い、休みの日に子ども達を公園に連れ出して、地域の人たちに紹介しました。
「もったいない」という感覚はこの時からです。「共に生きよう」とか「共生社会」とか「インクルージョン」とかじゃなくて、どこまでも「つきあわないともったいない」という感覚。
社会のみんなが
「障がいのある人たちとおつきあいしないともったいない」
って、思うようになれば、社会は多分大きく変わります。
「共に生きよう」とか「共生社会」とか「インクルージョン」とかいうと、障がいのある人たちとのおつきあいが、なんだか面倒くさくなります。
それよりも「もったいない」っていうくらいの感覚でおつきあいした方が、楽です。楽しくなります。
「もったいない」は、「おつきあいすることに価値がある」ことを、生活の感覚で語っています。さらっと泥臭くいっているようで、実は彼らとのおつきあいに価値がある、と画期的なことをいっているのです。
歴史ある福祉の世界だってこんなことは言ってきませんでした。
だからこそ、「もったいない」という感覚は、障がいのある人たちとのおつきあいの歴史を塗り替えるほどの意味を持っているのだと思います。
こういう人たちとはおつきあいしないともったいないです。