第4期演劇ワークショップの参加者を募集したところ、うれしくなってしまうような申し込みがありました。
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ご縁があって高崎さんのブログに辿り着きまして、
楽しく温かく、そしていつも「そうそう!」と
思わず膝を叩きたくなるような気持ちで、
高崎さんの綴られることばに触れさせて頂いています。
ぷかぷかさんたちの生き生きとした躍動をことばや写真で感じるたびに、
ベーカリーやイベントで実際にぷかぷかさんたちと触れ合いたい。
図々しくも…友達になってみたい、とそんな思いを抱えておりました。
スケジュール的になかなか都合がつかなかったり、
なかなか実現できずに残念な気持ちで過ごしていたところに
この演劇ワークショップ参加者募集の告知。
第4期演劇ワークショップ、
ぜひ参加させて頂きたい!と思い立ち、ご連絡させて頂きました。
障がい者と健常者。
大人と子ども、男と女、外国人と自国民。
弱者へ手を差し伸べる。という社会的に認知されている構図。
子どもの頃から、
″境界″があること、と、″弱者″というポジションを作り上げてそこに囲い込む、
システマティックなコミュニケーションに違和感を感じ続けてきました。
高崎さんの「支援しない」姿勢がとても好きです。
共にお互いの表現を楽しむ仲間。
困ったことも嬉しいことも、どちらも同じように愛おしむ。
という空気がそこには流れているのを感じ、とても嬉しくなってしまうのです。
社会的な位置づけや枠組みから自由になって存在そのものに触れていたい。
この演劇ワークショップでは、
″境界を溶かすこと″
″存在そのもので触れ合うことの喜び″
そういったことをぷかぷかさんやぷかぷかさんを愛するひとびとと
共に感じてみたい。そんな気持ちを胸に抱いています。
そして、その舞台を観た方のこころの深い部分に何かを残せるような、
そこから各々の新しい世界がまた拡がっていくような時間になれば
最高なことだとおもいます。
実は中学校時代に演劇部だったこともあり。
その経験もフル動員して、みなさんと創り上げる時間と空間を楽しみたい!
そんな思いで手をあげさせて頂きました。
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演劇ワークショップは障がいのある人たちを支援するためにやっているのではありません。どこまでも彼らといっしょに、彼らとフェアな関係の中で、新しいものをわくわくしながら作っていく、ただそれだけです。
支援どころか、ワークショップの場は、彼らに支えられています。あれができない、これができないと蔑まされている障がいのある人たちに私たちは支えられているのです。こういう関係がおもしろいなと私は思います。今までにない新しいものというのは、こういうところから生まれます。
どうして彼らがワークショップの場を支えているのか。それは彼らが私たちの何倍も自由だからです。その自由さがワークショップという表現の場では何よりも大事です。その自由さをワークショップの場では存分に生かすことができます。
だからこそ、彼らに向かって「あなたにここにいて欲しい」「ここではあなたが必要」と素直にいえるようになります。障がいのある人たちに向かってそんなふうに素直に思える場って、多分なかなかないと思います。
理屈で障がいのある人たちと共に生きていこう、ではないのです。いっしょにワークショップをやっているうちに、自然にそう思ってしまうのです。そうして何よりも、この人たちとは一緒に生きていった方が絶対にトク!って自然に思ってしまいます。そこがワークショップという場のすごいところだと思います。
真ん中でダンスを踊っているイクちゃんは、リハーサルの時、彼が勝手に踊り出し、いい感じだったので、本番もそれで行こうと、こういう舞台になりました。そういう自由さがワークショップの舞台では生きるのです。そういう自由さがワークショップの舞台を支えているのです。
相模原障害者殺傷事件の植松被告が、もしワークショップに参加し、そこで障がいのある人たちに出会っていたら、事件は絶対に起こらなかったと思います。彼は「支援」の現場にいた経験がありました。そこではどういう関係を障がいのある人たちと作っていたのかと思います。ここのところこそ、もっともっと掘り下げて考えていく必要があると思っています。