ぷかぷかを何度も取材している毎日新聞の記者がhanaちゃんのお母さんの取材に行ったようです。
hanaちゃんは、いわゆる「重度」の障がい児です。「重度」というのは障がいが重いということで、生活していく上でいろいろ手がかかります。ですからhanaちゃんと一緒に生きていくのは「大変」とふつうは考えてしまうのですが、花岡千恵さんのFacebookを見る限り、その大変さは、ちっとも感じません。
あるときhanaちゃんが台所のスポンジで頭を洗ったことがありました。どうして台所のスポンジで頭を洗い出したのか、そのときのhanaちゃんの気持ちはわかりません。こういうことが日常的にあって、
「やっぱり重度の障がい児と一緒に暮らすのは大変」
と、そういう子どもとあまりお付き合いのない人は思ってしまいます。
ところが花岡さんは
「またhanaがやってくれました」
と笑いながらhanaちゃんがスポンジで頭を洗っている写真をアップします。Facebookを見る方も、つい笑ってしまいます。「重度の障がい児と一緒に暮らすのは大変」というイメージは、もうどこかへ行ってしまいます。
そういうメッセージを花岡さんは発信してきたのだと思います。
セノーさんは前の職場で自分の居場所を失い、ぷかぷかにやってきました。確かにセノーさんはあまり働きません。寝てる時間の方が多いくらいです。それでもセノーさんがいることでなごむ世界のよさをぷかぷかはFacebookで発信してきました。「ああああああ〜、 あああああ 〜」というだけで郵便局のお姉さん達を心をわしづかみにしてしまった話は一気にセノーさんのファンを増やしました。毎日新聞の論説委員の方が取材に来て1面の「余録」に取り上げてくれました。
セノーさんはああ見えて、家では荒れて今までテレビを7台もぶっ壊しているくらいの「大物」です。一緒に生活していくのはすごく「大変」です。でも、お父さんもお母さんも話をしていて、その「大変さ」をちっとも感じません。お父さんは神さまのような人だと私は思っています。
hanaちゃんのお母さんや、セノーさんのご両親、そしてぷかぷかがあって、まわりの社会が少しずつ少しずつ変わっていきます。
相模原障害者殺傷事件からそろそろ1年がたとうとしています。19人もの人が殺された事件にもかかわらず、社会はどんどん忘れていくようです。
「どうしてなにもしていない私が殺されなければならないの?」
と無念に殺されていった人たちの「無念さ」を、あらためて思います。
「どうして?」の問いは私たちに向けられています。この社会の中での私たち一人ひとりの生き方が問われているように思います。大きな話ではなく、私たち自身の生き方です。
hanaちゃんのお母さんやぷかぷかの情報発信は、その問いの先にある未来に向けてのメッセージです。セノーさんのご両親の生き方も。