『そよ風に街に出よう』という雑誌の編集をやっている小林さんが取材に来ました。週刊号にぷかぷかの話を載せるそうです。
『そよ風に街に出よう』は37年前、障がいのある人たちに「そよ風のように街に出よう」と呼びかけて、スタートしました。当時、障がいのある人はほとんど街に出ることなく、家に閉じこもっていました。閉じ込められていた人もたくさんいました。そういった社会的状況に中で「そよ風のように街に出よう」という呼びかけは大きな反響を呼んだようでした。
街に出た障がいのある人たちの話をふつうの人たちに届けたりもしました。障がいのある人たちを取り巻く社会的状況を、そうやって少しずつ変えてきました。
書きようによってはすごく重くなる記事をさらっと軽く書いて、それでいてしっかり中身が伝わってきて、そのセンスがすばらしいと思っていました。それでも時代の波から取り残されるように部数がどんどん減って、ついにこの夏、終刊号を迎えます。
関西テレビが「そよ風」が37年かけてやってきたことを相模原障害者殺傷事件に関連づけて1時間の番組にまとめていましたが、とてもいい番組でした。障がいのある人たちが街に出て、どんな風に世界が広がっていったのかを丁寧に追いかけていました。
梅谷庄司さんは奈良の山奥で暮らしています。その山奥まで小林さんを始め、いろいろな方が庄司さんの生活を支えにやってきます。小林さんは月2回、2時間半もかけて庄司さんのところへ出かけていきます。そんなおつきあいを40年も続けてきたそうです。庄司さんは部屋にあるエアコンとかテレビなどすべてぶっ壊し、自分の着ている服も破り捨ててしまいます。とにかく大変な方です。それでも小林さんは、庄司さんのところへ出かけると、なんかホッとするものがあるといいます。だから40年も続けてこれた、と。
関西テレビは小林さんと一緒に庄司さんを訪ねます。服を破り捨てて裸で座り込んでいる庄司さんは、なんとも言えず人間味があって、会いに行きたいと思うくらいの人でした。小林さんが40年も通い続けてきた理由がわかる気がしました。
番組を見て「どうしてあんなに大変な人を施設に入れないんだ」という人もいたそうです。私はなぜかにんまり笑って「ああ、会いに行きたい」と思いました。この受け止め方の落差は目がくらむほどに大きいですね。
『そよ風のように街に出よう』は、この落差を埋めようと37年もがんばってきたのだと思います。雑誌はこの夏で終わりますが、小林さんはまだまだ庄司さんのところへ通い続けます。
そういう関係を日本のあちこちに作ったこと。それが『そよ風』の功績だろうと思います。関西テレビはそのいくつかを番組で紹介していました。
「かなこさん」という重度の障がいを持った女性を紹介していました。日常のすべてに介護が必要な方で、「チームかなこ」という若い女性チームがそれを担っています。かなこさんと一緒に街に出かけ、喫茶店に入り、わいわい言いながら注文をします。もちろんかなこさんはおしゃべりしないのですが、それでもチームかなこの人たちと何を注文するかでわいわい楽しそうにやっているのです。大学のゼミで、かなこさんと一緒に、かなこさんとのおつきあいの中で見つけたことを学生達の前で発表します。チームかなこの一人が結婚したときは、かなこさんもきれいにお化粧してもらい、ステキなドレスを着せてもらって結婚式に出席します。結婚式のあと、新郎新婦、チームかなこの人たちに囲まれて楽しそうに話をしているシーンは、ちょっと涙が出ましたね。
「そよ風のように街に出よう」って言う呼びかけは、あちこちでこういうおつきあいを生んだのだろうと思います。雑誌は終わっても、あちこちの関係はこれからも続きます。その関係が社会を少しずつ、お互いが生きやすい社会に変えていきます。
★関西テレビの番組、録画したDVDがあります。見たい方はぷかぷかまで連絡下さい。pukapuka@ked.biglobe.ne.jp 高崎