hanaちゃんのお母さんは「重度の療育ママ」だったそうです。
そのママが「私、hanaに育ててもらいました」って、さらっと書くところが花岡さんのすばらしいところ。どうしてそこに共感したのかというと、私自身、「ぷかぷかさん達に育ててもらった」という感覚があるからです。「ぷかぷかさん」達を「支援してきた」のではなく「育ててもらった」のです。そのおかげで「ぷかぷか」があるのです。
本の原稿にこんなことを書いています。
養護学校の教員になった頃の話です。
私は小学校の教員になる勉強はやっていましたが、障がいのある子どもたちを相手にする特殊教育の勉強はやっていませんでした。ですから、雨の中、裸で外へ飛び出してしまう子どもがいたり、自分の頭をぼかすかたたく子がいたりすると、どう対応していいかわからず、
「ああ、どうしよう、どうしよう」
と、おろおろする毎日でした。おろおろする、というのは恥ずかしい裸の自分がそのまま出る、ということです。専門知識を盾にするのではなく、何も防備するもののない素の自分で相手と向き合うしかありませんでした。でも、だからこそ、人として彼らと出会えた気がしています。その出会いは私の人生を揺さぶるほど強烈なものでした。
もし私に専門知識があれば、彼らと人として出会うことはなかったと思います。そしてその後の人生もなかったと思います。「ああ、どうしよう、どうしよう」と、おろおろする毎日があったからこそ、今、「ぷかぷか」があります。「おろおろする毎日」こそ、新しいものを生み出す原点であった気がしています。
私は彼らに育ててもらったのです。