昨日書いた日記
に、時々お惣菜屋に「いかけんちん」を買いにきていた地域の方がこんなコメントをよこしてくれました。
「いかけんちん」を買いに来ているうちに、なんとなくぷかぷかの雰囲気が気に入り、ウロウロしているセノーさんにも出会ったようです。時々セノーさんの写真や動画を撮り、「こんなすてきなセノーさん見つけました!」と、ぷかぷかに提供してくれました。
地域の方がぷかぷかを、セノーさんをどんな風に受け止めていたかがよくわかるコメントです。
●●●
…通用するかしないのか、そこで通用するようになりたいのか、なるべきなのか… そこで通用する事が素晴らしい唯一の事なのか…は各自の選択で構わないかと思います。
けど、この件に関してはムクムクとモワモワと何かが湧いて来ます。上手く言えるか分りませんが…
私たちは、始終「そんな甘いやり方ダメ」「そんな考え社会では通用しない」 そんな言葉を喉元に突きつけられているし、実際生きるのは大変だと思っています。
けど。
世の中の大事な事は、すべて数値化されますか?
科学的に立証出来ますか?
世の中の全ての出来事の根拠をきっちり説明出来ますか?
例えば子供と手をつないだ温もり…漢字やアルファベットを駆使しても、あの言いようもない幸福感は説明しつくすことが出来ません。
セノーさんの良さは、漢字やアルファベット(就労継続Bなんちゅ~言葉ね)で説明がしきれるもんか。逆にされてたまるかって。ね、思ってます。
目に見える形での…数値での「生産」をしていないからと言って「通用しない」とは失礼じゃないかな。
だって私は、セノーさんや、ぷかぷかさんの空気に触れ、その流れ方の中で大変に豊かに耕された心地がしているもの。それを目に見える形でビジュアル化、数値化出来ないというだけで。
頑張る事が普通、頑張らない事は悪、世間はその事に何の異議も唱えません。だけどセノーさんみたいに時々立ち止まったり休んだり自分のペースで時を過ごす様子を見て
クスッと笑ったり、自分もちょっと休んでみようかなとか、力を抜いてありのままで居てみたいなとか。今まで世間基準で動いていた自分の時計のネジを我流に調整してみようと思ったり。
「…で、あるべき」な縛りから、離れてみる時間を持てたのは、ぷかぷかさんのおかげ。漢字やアルファベットでは説明しきれないけれど大きな事なんだ。生産生産って、生産だけが大切な事なら、世の中カッサカサになっちゃう。生産って目に見える物だけが生産じゃないと思うんだけどな。
●●●
福祉施設よりもはるかにいい感じでセノーさんを受け止めていますね。この差はどこから生まれてくるのでしょう。福祉施設は、そんなのは通用しないといい、地域の方はセノーさんのおかげで、すごく豊かな世界を見つけることができたといいます。「支援」とかなんとかいってる側が、セノーさんからは何も学ばず、「支援」なんてひとこともいわない人が、セノーさんからすばらしいものを学んでいます。
地域の人こそ、彼らの一番の味方なんだとあらためて思いました。
郵便局に入金に行って、ベンチで堂々と寝るセノーさん。郵便局のお姉さんたちは、こんなセノーさんの大ファンです。福祉施設で通用しないセノーさんが、地域の人たちには大事にされていることのこのギャップはなんなんでしょう。