昨日に引き続き、障がいのある人が亡くなったときの逸失利益の問題です。
NHKニュースでは二つの事例が紹介されていました。
大分県で特別支援学校の男子児童が死亡した事故では平成16年、大分地方裁判所が「医療技術の進歩を考慮しても児童が将来、働けるようになる可能性を認めるのは難しい」として、県が逸失利益を支払う必要はないとする判断を示しました。
これに対し、16歳の少年が施設で死亡した事故で、青森地方裁判所は平成21年、「健常者と同じ程度ではなくても、徐々に働く能力を高めることができた可能性があった」として、県の最低賃金をもとに600万円余りの逸失利益を認めました。
前者の判決は、働けなければ、生み出すものは何もないといっています。裁判官には働けない人が生み出すものの価値が見えなかったのではないかと思います。
後者は前者よりはましだと思いますが、働く能力に限っての判断なので、やっぱり引っかかります。
わかりやすく、セノーさんを例に出します。
働く能力、といったところで見ると、セノーさんはかなり厳しいと思います。気がつくと仕事中でも寝ていることが多いし、トイレに入ると仕事があってもなかなか出てきません。ぷかぷかに来る前の作業所で自分の居場所を失ったのもわかる気がします。ではぷかぷかでどうしてセノーさんの居場所があるかというと、セノーさんの作り出すなんともいえないあたたかな、楽しい雰囲気を、みんなが評価しているからです。その雰囲気が大事だとみんなが思っているからです。
毎日郵便局に入金にいきます。「ああああ…」といってなかなか言葉が出てこないのですが、それでいてなんとも楽しい雰囲気を作り出し、郵便局のお姉さんたちには大人気です。お姉さんたちの中にあった「障害者」のマイナスイメージを多分ひっくり返しています。セノーさんを見るお姉さんたちのあたたかな目がそれを物語っています。
仕事がよくできる方が郵便局に行っても、多分こういう関係はできません。今社会に必要なのは、先日も書きましたが《「ぷかぷかさん」といえば「ああ、ぷかぷかさん」とやさしくこたえてくれるような関係 》です。こういった関係は社会を豊かにします。それをセノーさんは作ってくれたのです。社会にとって、すばらしい仕事をやってくれたと思います。
セノーさんはぷかぷかに居場所があります。セノーさんが安心していられる場所は、誰にとっても居心地のいい場所です。ぷかぷかさんたちにとってはもちろん、お客さんにとっても居心地のいい場所です。「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファン」という方が多いのも、その居心地のよさを感じる方が多いのだと思います。
セノーさんが生み出すものをきちんと評価すると、こういう居心地のいい場所ができるのです。逆にそういったものを評価する目を持っていないと、どんどん窮屈な世の中になっていきます。
障がいのある人たちの逸失利益の問題は、私たちの生き方が問われているように思います。