栗原貞子さんの詩に
「ヒロシマ」というとき「ああヒロシマ」とやさしくこたえてくれるだろうか…
という言葉で始まる詩があります。「ああヒロシマ」とやさしいこたえがかえってくるためには、わたしたちは何をしなければならないかを語った詩です。
先日オーヤさんの感想の最後にあった
《 本番の次の日、乗っていたバスの窓から、野菜をせっせと運ぶスタッフとぷかぷかさんを見つけ、「今日もこの街を耕してくれてるんだ」と、この日常の風景にもまた私は自然と笑顔になっていました。 》
の部分を読みながら、ふいにこの詩の始まりの言葉を思い出していました。
「ぷかぷかさん」というとき「ああ、ぷかぷかさん」とやさしくこたえてくれるだろうか
オーヤさんは、それをやってくれているんだと思ったのです。乗っていたバスの窓から、野菜をせっせと運ぶスタッフとぷかぷかさんを見つけ、「今日もこの街を耕してくれてるんだ」と笑顔になった、というのですから。
「障害者」と聞いただけで、なんとなくいやだなとか、おつきあいしたくないな、と思う人の多い社会です。「うちの近所には住んで欲しくない」と「障害者のグループホーム、絶対反対」と大書した看板を街道沿いに立てた住民もいました。そのことでグループホームの計画がつぶされました。そして相模原障害者殺傷事件。
そんな社会にあってオーヤさんのこの感覚は、時代のはるか先を行っている感じがするのです。しかもその感覚が、ぷかぷかとのおつきあいの中で生まれた、ということがとてもうれしいです。
相模原障害者殺傷事件を超える社会とはどういう社会なのか。それは、たとえば
「ぷかぷかさん」というとき「ああ、ぷかぷかさん」とやさしいこたえがかえってくるような社会
ではないかと思うのです。そんな社会を作っていくヒントをぷかぷかは作り出しているのではないか、とオーヤさんの感想読みながら思いました。
オーヤさんの感想はこちら
そういえば以前、団地の中でぷかぷかしんぶんをポスティングしているうちに、どっちを見ても同じような建物が並んでいて、迷子になってしまったメンバーさんがいました。そのとき「今、うちの近くでぷかぷかさんが迷子になっていますよ。迎えにきてあげてください」と電話がかかってきたことがありました。そのときの「ぷかぷかさん」ていう言い方が、とてもやさしい響きを持っていました。
そんなおつきあいを日々の活動の中で作り出すこと、そのことがとても大事な気がしています。
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