いつも子どもと一緒にクリームパンを買いに来ていたオーヤさんが1月29日の「表現の市場」の舞台に「ぷかぷかさん」たちと一緒に立ちます。舞台に立つということだけでも大変なことです。それを障がいのある人たちと一緒にやろうとしているのです。
今まで障がいのある人とおつきあいもなかった、大勢の前で話すのが苦手なオーヤさんが、どうして大きなホールの舞台に「ぷかぷかさん」たちと一緒に立つことになったのか、そのあたりの話を聞きました。
オーヤさんがぷかぷかに来るようになったのは5年ほど前。下のお子さんが生まれた頃だったそうです。天然酵母のパンは高いので、はじめは前日に売れ残った半額のパンを買っていたそうですが、おいしいので、だんだんいろんなパンを買うようになり、中でもクリームパンがいちばん気に入ったそうです。
何回か来ているうちに顔見知りになり、パン教室や、運動会に参加するようになりました。単なるお客さんから、もう少し関わりが濃くなります。特に2015年にアート屋わんどが開店したときは、開店前の看板作りワークショップに参加。大きな絵をみんなで描いたり、染め物をするようなワークショップに毎回のように参加しました。
このあたりからどんどん変わっていったようです。それがいちばん現れたのがぷかぷかのプロモーションビデオの取材に応じたときでした。
今日の話でいちばん印象に残ったのは、3回目になる運動会に参加した際、「ぷかぷかさん」たちがほんとうに楽しそうに笑っているのに、自分はあんなふうに笑ってないことに気がついた、という話でした。
いつも笑っていたはずなのに、彼らのように気持ちよく笑っていないことに気がついたというのです。この時の気持ちを表現するのに、「なんていうんだろう」「どう表現すればいいんだろう」と、ものすごく丁寧に言葉を探しているようでした。オーヤさんにとって、それくらい大変な気づきだったのだと思います。
笑うというのは、誰でもできることで、それに違いはないと思っていたのに、ぷかぷかさんたちの笑いを前に、どうもそうじゃないことに気づいた。笑う、ということにおいて、自分は彼らほど笑っていない、彼らほど気持ちよく笑っていない。笑うという人間の基本的なところで、彼らよりも不自由だった、と 。
そんなことに気がつくなんて、オーヤさんは感じとっている世界の深い人だなと思いました。ぷかぷかさんとおつきあいして、そんなことに気づく人はあまりいません。癒やされた、という人は多いのですが。しかもいきなりそれに気づいたのではなく、この4年ほどぷかぷかさんと様々なおつきあいをしてきて、少しずつ少しずつオーヤさんの中で変わるものがあって、それが今回「彼らはなんて気持ちよく笑うんだろう、自分はあんなふうには笑えていない」という気づきにつながったのだと思います。オーヤさんの中で時間をかけて発酵していたものはなんだったんだろうと思います。
そして、その発酵の先にぷかぷかさんたちと一緒に立つ舞台があるのだと思います。
人間のすごく大事なところで、私たちは彼らほど自由ではありません。彼らとのおつきあいの中で、自分の不自由さに気がつくとき、彼らとの関係だけでなく、社会のありかたそのものへの問い直しが始まるのだと思います。
ぷかぷかさんたちは社会に合わせないとやっていけないと多くの人はいいます。不自由な側が、ぷかぷかさんたちに、不自由な社会に合わせなさい、というのは、彼らから気持ちのいい笑いを取り上げてしまうようなものです。お互いが不自由になっていくだけのような気がします。