神奈川新聞1月3日版のトップページをツジさんの話が飾りました。
相模原事件を受け、多様性を尊重しあえる地域社会にするには何が大切か、障害者らの笑顔のストーリーを重ね、ともに生きる証しを求めたい。というシリーズの第1回目で取り上げられました。
この記事で取り上げられているぷかぷかの雰囲気は、はじめからこうしようということで始まったわけではありません。今まで何度か書いていますが、きっかけは接客の講習会でした。私は養護学校の教員をやっていたので、お店を始めるとき、接客の仕方が全くわかりませんでした。それで講師を呼んで、接客の講習会をやりました。接客マニュアルというのがあって、「いらっしゃいませ」「お待たせしました」といった言葉も全部決まっていて、それ以外は言うな、ということでした。両手を前に合わせて決まり文句を言います。で、実際ツジさんたちがやると、もっともらしくというか、一見立派な社会人になったような雰囲気にはなるのですが、私はただただ気色悪い気がしました。
私が惚れ込んだツジさんがそこにはいないのです。ただただ接客マニュアルに無理して合わせた気色の悪いツジさんが立っているだけでした。私は養護学校の教員時代、障がいのある人たちに惚れ込んで、定年退職を機に「ぷかぷか」を立ち上げました。惚れ込んだ彼らが、彼ららしくいられないなら、「ぷかぷか」を立ち上げた意味はありません。
ツジさん以外の何人かのメンバーさんにもやってもらいましたが、誰がやっても気色悪さは変わりません。もう講習会はやめました。「多様性を大事にしたい」とかいった理屈っぽい話ではなく、「気色悪い」という感覚的な判断です。その時の判断が今のぷかぷかの雰囲気を作り出しています。
接客マニュアルに合わせる、というのは、いわば社会に合わせることと同じです。社会に合わせようとした彼らの姿が「気色悪い」という印象をもたらしたことの意味は大きいと思います。無理して社会に合わせることは自分を押し殺すことです。自分を押し殺した彼らの姿は、私には痛々しく、見るに耐えなかったのです。
自分を殺さないと彼らは社会に中で生きられないのか、ということです。生きるってどういうことなのかを、あの時の彼らは私に問いかけていたように思うのです。自分を殺して生きることが、ほんとうに「生きる」ということなのか。
私は彼らと一緒に生きていこうと思って「ぷかぷか」を立ち上げました。一緒に生きていこうとしている仲間が自分を押し殺している。もう耐えられない気持ちでした。あの時の彼らの姿はただただ痛々しく、気色悪かったのです。もうやめて欲しい、と。
社会の多くは、障がいのある人たちは社会に合わせるべく努力すべきだと思っています。ツジさんのお母さんもそういう努力をしてきました。でも「ぷかぷか」でツジさんがありのままのツジさんで働き、しかもそのことで収益を上げている姿を見て、今までやってきた努力はなんだったのか、「見当違い」だったのではないか、と思うようになりました。これはものすごく大きな気づきだったと思います。それまでの生き方をひっくり返すような、それくらい大きな気づきだったと思います。「生きることが楽になった」ともおっしゃっていました。
「ぷかぷか」に来るお客さんの多くが「ホッとする」といいます。そのことの意味を考えるとき、「ぷかぷかさん」たちの働く姿は、私たちにとても大切なものをもたらしている気がするのです。
気色悪さのヒミツを考えるとき、病んでいる社会が見えてきます。
★相模原事件に関連してこういう記事をトップに持ってくるなんて、神奈川新聞も気合いが入っているなと思いました。