ぷかぷか日記

「言葉の意味を理解して使用していますか?」だなんて…

 小さな出版社からぷかぷかの本を出す予定で、原稿を書いてきました。先日、原稿を書き上げて提出したのですが、出版社からきた原稿の直しを要請するメールにこんなことが書いてありました。

 

「ビジネス、ワークショップ、ソーシャルビジネスなど・・・言葉の意味を理解して使用していますか?」

 

  「言葉の意味を理解して使用していますか?」だって。驚きましたね。

  少なくともワークショップについては1980年代初めに日本に初めてその手法が入ってきた頃から、障がいのある人たちといっしょにやってきました。

 ワークショップはフィリピンや中南米での識字教育から始まりました。文字を知らない人たちに、たとえば、働いても働いても生活が豊かになっていかない理由を、文字を使った説明ではなく、一緒に芝居を作っていく中で伝えていくのです。そういった中でできてきたのが演劇ワークショップの手法です。

 仲間と一緒にフィリピンのネグロス島でワークショップをやったことがあります。そのとき訪れたスラム街の教会で地元のお母さんたちが芝居を作っていました。当時の社会状況を舞台で表現していました。ベニグノ・アキノ氏が空港で暗殺され、その妻のコリー・アキノ氏が大統領になって何年かたった頃です。

 舞台の片側に民衆がいます。反対側にアメリカがいます。さてコリーはどっちについているでしょう、と進行役がお母さんたちに聞いています。赤ちゃんを抱っこしながらお母さんたちがいろいろ意見を言いあっていました。あっちじゃないか、こっちじゃないか、どうしてあっちなのか、どうしてこっちなのか、とみんなが意見を言いあいながら舞台を作っていくのです。一番前で見ていた私にも意見を求められました。私は民衆の側にいるのではないか、と応えたのですが、ほとんどのお母さんたちはアメリカ側だと言っていました。コリー・アキノ氏も最初は民衆の側についていたようですが、何年かたって、だんだん立ち位置が変わっていったようで、教会で芝居をやっていた頃はアメリカの側についていて、民衆の敵だったようです。そういった社会的状況を芝居をやっていく中でお母さんたちは学んでいました。

 なんかもうびっくりしました。文字を知らない人たちが今の社会的状況を、文字を知っている私よりもはるかによく理解しているのです。演劇ワークショップの手法はそういった厳しい社会的状況の中で生まれたんだということを、その教会で赤ちゃんを抱っこしたお母さんたちに教わりました。

 ワークショップは社会的状況を知るだけでなく、その中で私たちは何をすべきなのか、といったところまで考えます。1991年、京都であった全国ボランティア研究集会の平和をテーマにした分科会でワークショップをやったことがあります。当時湾岸戦争がはじまり、もうすぐ地上戦が始まるのではないか、という緊迫した雰囲気の中でのワークショップでした。二泊三日のワークショップで芝居を作り、最後に1,000人くらい入るホールの舞台で発表しました。なんかみんな必死でした。私は7ヶ月になる長男を抱っこして舞台に立ちました。舞台に立つ人も、見ている人も涙を流していました。「地上戦をやっちゃだめだ」って必死になって叫んでいました。

 舞台に立ってもまだやり足りない気がして、そのまま京都駅前まで行き、大混雑の京都駅前でゲリラシアターをやりました。大勢の人の前で「地上戦は絶対だめだ!」って叫びました。そういう時代でしたね、あの頃は。(今、瀬谷の二ツ橋大学でがんばっている杉浦さんは、このゲリラシアターをやったとき、警官が来ないようにすごい目つきで見張っていました)

 

 もう一つ、黒テントの人たちとマニラでワークショップをやったとき、夜、子ども達のワークショップの発表会を見に行きました。古い城砦の跡地で開かれていました。舞台に馬が登場します。それに合わせてお客さんが馬の鳴き声をやったり、足踏みして蹄の音を出します。モンスターが登場すると、モンスターの叫び声をお客さんが出します。つまりお客さんも一緒になって舞台を作っていくのです。舞台の子ども達と一緒に声を出し、叫び、泣き、笑い、音を出し、汗をかくのです。こういう作り方、芝居の楽しみ方があったのか、と目から鱗が落ちるような体験でした。

 これはさっそく養護学校で実践しました。みんなで楽しめる芝居をしようと、体育館の舞台はやめて、プレールームで「芝居小屋」をはじめました。実験的にやったのは『海賊ジェイクの大冒険』。海賊船がやってきます。海が少しずつ荒れてきます。芝居小屋に集まったお客さんみんなで「ひゅ〜」って声を出して風をやります。少しずつ風が強くなります。それをみんなの「ひゅ〜」っていう声をだんだん大きくしていって表現します。波がザッブ〜ンと大きくなります。その音もみんなでやります。「あっ、イルカだ」と客席にいたお父さんにイルカをやってもらいました。「え?、イルカ?」とどぎまぎしているお父さんに、「さあ、イルカが飛び上がります」と問答無用で、その場で飛び上がってもらいました。「あっ、あっちにもイルカが」と別のお父さんをさしてイルカになって飛び上がってもらいました。「あ、雷!」とお母さんをさして「ピカピカ、ドッカ〜ン」と雷をやってもらいました。三人ほどお母さんにやってもらうと芝居小屋の中はもう大変な大嵐。みんなで思いっきり声を出し、叫び、腕を振り回し、飛び上がりました。芝居小屋は熱気むんむん。役者もお客さんもくたくたになる芝居小屋でした。

 芝居は大成功でした。こんな楽しい芝居は初めて、と集まったお父さんもお母さんも汗だくになっておっしゃってました。こんな芝居小屋を4年ほど続けたあとほかの養護学校に転勤になったのですが、新しい学校では全校生を相手にワークショップをやりました。

 芝居のテーマを全校生から募集し、全校生でテーマを選びます。テーマに沿って全校生で絵を描き、全校生で描いた絵で廊下を埋め尽くします。その絵の中から次へ進む手がかりを見つけ、その手がかりを元に全校生で楽しめるイベントを考え、その結果で更に先へ進みます。芝居の登場人物もオーディションをやり、全校生が審査員になって決めます。たとえばお姫様役を選ぶときは、お姫様をやりたい人が舞台に並んでひと声「あれ〜!」と助けを呼ぶ声を出します。助けたくなった人は誰か、という審査基準で全校生で投票して選びます。こういうことを続けていると、学校全体がほんとうに熱くなってくるのです。

 そうやって4月からスタートして11月までかかって全校生で芝居を作っていきます。8ヶ月間、全校生を引っぱっていく仕掛けを行き当たりばったりで考えるのはほんとうに大変でしたが、ワークショップのおもしろさにいちばんはまった時期でした。 そうやって全校生で作り上げた芝居は文化祭の初日に体育館のフロアーで発表します。生徒、教員、保護者300人くらいが輪になって座り、その真ん中で芝居をやります。その芝居も、役者だけでなく、まわりを囲んだみんなもいっしょにやるのです。

 こんな芝居の作り方を10年続けました。誰かが書いたシナリオで芝居をやるのではなく、小学部の子どもから高等部の生徒まで、みんなでいろいろ楽しみながら物語を考え、みんなで芝居をやったのです。養護学校の中では、画期的な試みだったと思います。

 こういうやり方の出発点は、フィリピンの底抜けに明るい人たちといっしょにやったワークショップの体験です。あの体験がなければ、学校や地域であんなに楽しい場を創り出すことはできなかったと思います。フィリピンで生まれた演劇ワークショップの手法が、日本でこんなにもすばらしい場をたくさん創り出したのです。

 今やっているぷかぷかのメンバーさんたちと地域の人たちのワークショップも、そういった体験があったからできています。

 

 それを「言葉の意味を理解して使用していますか?」だなんて…。この出版社から出すのはやめました。

 

 先日のNHKラジオ深夜便では障がいのある人たちと一緒にソーシャルビジネスを成功させた貴重な例として取り上げられました。40分くらいのおしゃべりでしたが、ぷかぷかが何を作り出してきたかがだいたいわかる内容になっていました。本はそれを更に詳しく語ったものです。原稿はできあがっているので、ほかの出版社を探します。いい出版社があれば紹介して下さい。 

   

 

 

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