辻さんの「見当違いの努力」の話を聞く集まりがありました。
障がいを克服しようといろいろ努力してきたことが、いろんなことをきっかけに、なんかおかしいと思い始めた自分史を語っていただきました。
そもそも「障がいを克服する」って、なんなんでしょう。パラリンピックが開かれていた時、「努力すれば障がいは克服できる」といった言葉が流行りました。アスリートたちの活躍を見ていると、確かにそんな気もするのですが、障がいって克服するものなのかなぁ、という思いがずっとありました。そのすっきりしない思いで書いたのがこのブログです。
がんばらないことが新しい価値を創り出す、ということは、そのがんばらない人たちに教わりました。ぷかぷかが作り出したのは、結局のところ、そういう価値ではないかと思うのです。だから普段がんばりすぎている人たちがぷかぷかへ来るとホッとした気分になるのだと思います。
そして辻さんが「見当違いの努力」をしてきたんじゃないか、と気がついたのも息子さんがぷかぷかで働いているのを見る中で気づいたことでした。
「できないことをできるようにがんばらない人たちのパラリンピック」は、いわゆる「ふつうのパラリンピック」よりも、もっとたくさんの人たちを救う気がしています。
集まりに参加していた、ダウン症の可愛い赤ちゃんを抱えたお母さんが、その子が生まれた時のことを思い出したのか、涙をポロポロこぼしました。
「でもね、今この子が、かわいくてかわいくてしょうがないんです」
って話しながら、だんだん笑顔になり、なんか救われた気持ちになりました。
障がいのある子どもが生まれた時のショックを思い出し、抱っこしている子どもを見ながら、どうしてそんなこと思ってしまったんだろう、っていう涙だったのかなぁ、と勝手に思いました。
マイナスのイメージに打ちのめされている人には、どんな言葉も無力です。ぷかぷかが作り出してきた言葉も、多分無力です。でも、その赤ちゃんは、そんな打ちのめされたお母さんを涙をこぼすくらいの状況から救い出し、笑顔で
「今、この子がかわいくてかわいくてしょうがないんです」
って人前で語れるまでにしたのだろうと思います。当たり前の話ですが、お母さんに何か語りかけたわけではありません。ただただ毎日泣いたり、わめいたり、笑ったりしただけ。それなのにその赤ちゃんは、お母さんをこんなにも変えてしまいました。それって、凄いことじゃないかと思うのです。
障害のある子どもにマイナスのイメージしか持てなかったお母さんに、
「障がいのある子どもはかわいい!」
って思わせたのですから。ダウン症の赤ちゃんがお母さんを救ったのかもしれません。
お母さんの中にあった社会全般の障がいのある人たちに対するマイナスのイメージをひっくり返した、と言っていいと思います。
と、ここまで考えると、相模原事件を越える社会は、こういうところから始まるのではないかと思うのです。
お母さん、もう大丈夫だよね、って思っているのかも。
なんていい泣き顔!