グループホームの建設反対運動はこんな風にして始まるんだと思いました。
排除される側への想像力の欠如は信じがたいほどです。それは自分自身を貧しくします。排除の論理は、排除する側から人間性をも排除します。だから一線を超える可能性をいつでもはらんでいることを私たちは忘れてはならないと思います。
そしてこの投稿を読んで見えてくる、病む側、排除される側の、豊かさ。悲しい状況にあっても、ここには希望があります。
相模原障害者殺傷事件の背景は、どこにでもあることを、あらためて思いました。これを私たちはどうやって乗り越えていけばいいのでしょう。簡単な答えはありません。愚直に考えて考えて考え抜くしかないのだと思います。
そして何よりも、お互い知り合う機会を作ることだと思います。相手を知ること。そのことに尽きます。
ぷかぷかは障がいのある人と街の人の出会いの場所としてスタートしました。そのことの大切さを事件以降一層感じています。
仮に全国の福祉事業所が、そこで働く障がいのある人たちと街の人たちとの出会いの場として機能するなら、社会はそこから変わっていきます。今ある事業に、そういう機能をちょっと付け加えるのです。風通しを良くするのです。これはその気になればすぐにでもできることです。