土曜日、マルシェの合間を縫ってNHKのインタビューがありました。
「相模原障害者殺傷事件について、どうしてこんなにもたくさんメッセージを出すのですか」と何度も聞かれました。事件直後、たくさんの団体が様々なメッセージを出しましたが、ほとんどは一回きりです。ぷかぷかはなんと17本もブログをアップしています。
これはどうしてなのか、と。
なんかね、あれだけの大事件が起きて、一回だけ何か書いて済むとは思えないのです。書いても書いても、まだ足りない、という感じで書き続けてきました。
ぷかぷか日記を書いたぐらいで、世の中は変わりません。でも書かないともっと変わりません。書けば、何人かの人が読んでくれます。ひょっとしたら、障がいのある人たちとのおつきあいについて、彼らが社会にいることの意味について、彼らと一緒に生きていくことについて、新しい気づきがあるかも知れません。その気づきは、ひょっとしたら新しい動き、行動,生き方、障がいのある人たちとのつきあいを生み出すかも知れません。
そういったことで社会は少しずつ少しずつ変わっていくのだと思います。社会全体を見渡すと、ほんとうに気の遠くなるような作業です。時に無力感に襲われるときもあります。
それでも、先日のマルシェにはいつも以上にたくさんの人が来てくれ、「レクイエム」の演奏に涙した人もいました。
ね、だから希望はあるのです。希望があるからまた書けるのです。
23日に放送されたNHKアーカイブス「この子らを世の光に~ともに生きる社会をめざして~」がネット上で話題になっています。私も昔本を読んで、本当にそうだと思いました。
ただ、今ぷかぷかで「この子らを世の光に」なんて言ったら、なんか違和感というか、気恥ずかしさが先に立ちます。やっぱり糸賀一雄さんの言葉を受け継ぐ新しい言葉、今の時代にあって、新しい歴史を切り開くような新しい、力のある言葉を私たちが創り出せなかったのだろうと思います。そこに相模原障害者殺傷事件が起こった気がします。すきがあったのだと思います。
「この子らを世の光に」ではなく、ぷかぷかはもっと泥臭い言葉で勝負します。「秋コレ・ぷかぷかファッションショー&ハロウィン仮装パレード」見ましたか?あのちゃんちゃらおかしいパレードこそがぷかぷかのやり方です。ああやって障がいのある人たちも含めてみんなで楽しむこと、その事実を積み重ねること、そうやってぷかぷかのまわりの社会が少しずつ変わりつつあります。
なんて書きつつ、実は、あのちゃんちゃらおかしいパレードやりながら、お金もしっかり稼いだんですよ。今までのマルシェでいちばん稼ぎました。お金稼ぎながら、社会的課題もしっかり解決するソーシャルビジネスをぷかぷかはやっているのです。先日取材に来たNHKのラジオ深夜便のディレクターの方はソーシャルビジネスをやっていく上での苦労を聞いていましたが、ちゃんちゃらおかしいパレードやりながら、しっかりお金稼いだ話をすればよかったと今思いました。
こうやってたくさんお客さんを呼び込んで、パンは早い時間に完売しました。