私の性格的な問題なのか、「ちゃんとしなくちゃ」なんてちっとも考えてなくて、セノーさんと毎日だらだらと歩いています。その歩く姿を見た近所の知人がこんなことをメールに書いていました。
●●●
ご縁あって、ぷかぷかカフェの真上に住み始めたころのことです。
窓をあけていると、ぷかぷかのみなさんの声がよく聞こえてきます。
ある日。洗濯物を干しながらふと下を見ると、信号待ちをしているセノーさんと高崎さんがいました。
高崎さんは、セノーさんと何か、お話しながら手のひらで、やさしくセノーさんの頬にふれて、セノーさんは嬉しそうに高崎さんに甘えるように寄り添って、そして、お二人で、手をつなぐようにして、にこにこしながら交差点をわたっておられました
高崎さんにとっては、とても日常のことだとおもいます
でも、私にとっては、とっても衝撃だったのです。
なんだかとっても尊くて美しいものをのぞいてしまったような
しばらく胸がどきどきしていたのを鮮明におぼえています。
以前、アルバイトしていた学校でも、実習させてもらった福祉施設でも
『社会に出たときに本人が困るから、手をつながない』とか、
『しっかり歩く』とか、
なんだか、日常が『訓練』みたいで嫌だったのです。
最初は、指導している先生方を心の中で批判していました
でも、セノーさんと高崎さんのなんともいえない、愛おしい空間をのぞいてしまったとき、ああ、わたしの中にも、
『ちゃんとしなくちゃ』
みたいな硬い部分があったのかなあと思ったのです。
●●●
ただだらだら歩いていただけなのに、こんなことを思う人がいるんですね。目が赤いのなんのと、どうでもいいことをセノーさんとやり合いながら歩く姿が、見る人にとっては「とっても尊くて美しいものをのぞいてしまったような」ことだったなんて、だから世の中面白いですね。こうやっていろんな人がいて、いろんな感じ方で生きているから、そこから豊かなものが生まれてくるのだと、あらためて思いました。
こんな感じで目の検査をしながら歩いています。