ぷかぷか日記

「ゲハハ」「ガハハ」

 スタッフ会議で「発達障害とはどんな障害なのか」をテーマにしたセミナーに参加した方の報告がありました。

 発達障害とは脳の先天的な機能的、器質的な原因によって引き起こされた生まれながらの脳の問題であり、精神遅滞、特異的発達障害、広汎性発達障害と分けられ……

 

 久しぶりにこういう話を聞いてちょっと懐かしい気がしました。養護学校ではしょっちゅうこういうセミナーがあって、はじめの頃はよく聞きました。私は養護学校に勤務する前、こういう勉強を全くしていなかったので、それなりに興味を持って聞いたのです。

 内容的には、彼らにはこんな問題がある、あんな問題がある、だからこういう指導、訓練が必要、といったことでした。話だけ聞いていると、障がいのある人たちってこんなに大変なんだって思ってしまうような内容でした。大変だから、特別な指導、訓練が必要だというわけです。そして少しでも普通の子どもに近づけるのがいい、というわけです。彼らは劣っていて、私たちは優れている、という暗黙の大前提がそこにはあります。私自身、彼らとおつきあいするまではそう思っていました。

 でも、彼らとおつきあいするようになって、「彼らは劣っていて、私たちは優れている」という大前提が、なんだか少しずつ崩れ始めたのです。

 確かに養護学校の子ども達は、おしゃべりができなかったり、文字を書いたり読んだりができなかったり、暴れ回ったり、一人でご飯が食べられなかったりで、それなりに大変なことはありました。それでも尚、そういった大変さ、問題を超えるだけの人としての魅力を彼らは持っていました。

 そばにいるだけで気持ちがなごみました。毎日毎日本当に楽しいことをやってくれました。

 

 全くおしゃべりのできないサト君は、それでもこちらのいうことやることはしっかり理解していて、何やっても「ゲハハ」「ガハハ」と大笑いで反応してくれ、当時教員としては新米の私をしっかり支えてくれました。教員になったばかりで、下手くそな私の授業も「ゲハハ」「ガハハ」と笑い転げ、いや〜おもしろいおもしろい、と支えてくれたのでした。大きなうんこが出たと私を大声で呼び、サト君の代わりにレバーを押して(サト君はそういうことができませんでした)うんこを流すと、ただそれだけで「ゲハハ」「ガハハ」と豪快に笑っていました。箱根に修学旅行に行ったときは、その大きなうんこが船のトイレに詰まって水が流れなくなり、悪戦苦闘しているうちに船のクルーズは終わってしまいました。でも、サト君は悪びれた様子もなく、悪戦苦闘している私のそばで、ずっと「ゲハハ」「ガハハ」と笑い転げていました。結局私も一緒に笑い転げて、一度も景色を見ないまま箱根の船の旅は終わったのでした。サト君は、発達障害的にいえば重度の障害児であり、何やるにしても手がかかる人でした。それでも抱きしめたいくらい魅力ある人でした。養護学校で働き始めて、最初に担任し、その魅力で私の心をいっぺんにわしづかみにした子どもでした。

 「人間ていいな」って月並みな言葉ですが、サト君はその言葉をしみじみと実感させてくれたのです。人が人といっしょに生きていくとき「人間ていいな」って思えることはとても大切なことです。サト君と出会うまで、そんなこと一度も思ったことがなかったので、とても淋しい人生でした。人間にとってとても大切なことを重度の障害児のサト君が教えてくれたのです。「ゲハハ」「ガハハ」って豪快に笑いながら。

 「彼らは劣っていて、私たちは優れている」という大前提を最初に崩してくれたのは、サト君たちでした。

 

 同じクラスにけんちゃんという子がいました。けんちゃんは少しおしゃべりができました。クラスのみんなで大きな犬を紙粘土で作ったときのことです。

 何日もかかって作り上げ、ようやく完成という頃、けんちゃんにちょっと質問してみました。

「ところでけんちゃん、今、みんなでつくっているこれは、なんだっけ」

「あのね、あのね、あの……あのね」

「うん、さぁよく見て、これはなんだっけ」

と、大きな犬をけんちゃんの前に差し出しました。けんちゃんはそれを見て更に一生懸命考え、

“そうだ、わかった!”

と、もう飛び上がらんばかりの顔つきで、

「おさかな!」

と、答えたのでした。

 一瞬カクッときましたが、なんともいえないおかしさがワァ〜ンと体中を駆け巡り、思わず

「カンカンカン、あたりぃ!」

って、大きな声で叫んだのでした。

 それを聞いて

「やった!」

と言わんばかりのけんちゃんの嬉しそうな顔。こういう人とはいっしょに生きていった方が絶対に楽しい、と理屈抜きに思いました。

 もちろんその時、

「けんちゃん。これはおさかなではありません。犬です。いいですか、犬ですよ。よく覚えておいてね」

と、正しい答をけんちゃんに教える方法もあったでしょう。むしろこっちの方が一般的であり、正しいと思います。

 でも、けんちゃんのあのときの答は、そういう正しい世界を、もう超えてしまっているように思いました。あの時、あの場をガサッとゆすった「おさかな!」という言葉は、正しい答よりもはるかに光っています。こういう言葉こそ、張り詰めた日々の中でふっと気持ちを緩めてくれる大切な言葉だと思います。

 あの時、あんな素敵な言葉に出会えたこと、そしてけんちゃんに出会えたこと、それを幸福に思っています。

 

 こんなすてきな子ども達を養護学校の中に閉じ込めておくのはもったいないと、時々日曜日に原っぱに連れて行って、そこにいた子ども達と一緒に遊びました。小学4年生のみーちゃんがそのときのことを報告してくれました。

 

 私たちが野球をしていると、気がついたときにいたというか、けんいち君がバットを持ってかまえていたのです。

 けんいち君は、球をじーっと見ていて、キャッチャーが球をとってからバットをふるのです。

 でも、だんだんタイミングが合うようになり、ピッチャーゴロや、しまいにはホームランまでうつのでびっくりしました。

 うってもホームから動かないで、バットを持ったまま、まだうとうとしていました。

 お兄さんのあきら君や私が手を引いていっしょに一塁まで走っても、三塁に走ったりして、なかなか一塁に走ってくれませんでした。

 何度も練習して、一塁まで走るようになりましたが、バットは持ったままでした。

私が追いかけていってバットを返してもらって野球を続けました…。

                     

 後日、1年生のくんくんはけんいち君に手紙を書きました。

 

 けんいちくん おげんきですか ぼくもげんきです。 けんいちくんはずっとまえ あそぼうかいでやきうをやりましたね。またあそぼうね。けんいちくんはホームランうったね。がっこうでもやきうやてんの。

                   (「街角のパフォーマンス」より抜粋)

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 重度障害児といわれ、何にもできないとされる子どもと、真っ正面から向き合い、こんなにも豊かな時間を作り出した子ども達に、私は拍手したいです。

 発達障害のセミナーで教わるような知識が全くない子ども達が、自分たちの知恵を総動員して、けんちゃんとすばらしい時間を作り出したこと。けんちゃんがいたことで、子ども達がそういう経験をしたこと。けんちゃんはそういう、すごい働きをしたのです。こんなことはだれにもできることではありません。そこが彼らのすごいところだと私は思うのです。

 そのときの経験がきっかけで、その後、養護学校に教員になった人がいます。一人の子どもの人生を決めるほどの出来事を、けんちゃんを始め、たくさんの障がいのある子ども達が作り出したのです。 

 

 

 

 

 

 

 

 

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