第二期みんなでワークショップで作っている「みんなの生きる」の詩の世界を蹴散らかすような「むっつり大王」は,生まれてこの方笑ったことがなく、楽しいことやうれしいことが大嫌い。超根暗人間で、いつも不機嫌きわまるむっつりした顔をしています。そのむっつり大王の案がいくつか出てきました。
これはデフパペットシアターの大里さんの案。「ああつまらない」「ああおもしろくない」と不満たっぷりの顔ですが、どこかかわいくて憎めない感じ。
これはぷかぷかの近藤さんの案。口元がいかにもむっつり。目にも不機嫌さがあふれ出ていて,何かにつけ因縁つける、いかにも陰気な大王です。
これもぷかぷかの近藤さんの案。不機嫌さの塊のような顔。幸せそうな顔見るともう蹴飛ばしたい衝動に駆られるやっかいきわまる大王。
みんなの幸せな時間をたたきつぶしてしまう「むっつり大王」。いかにも手強い相手ですが、「生きる」「幸せ」とか「楽しさ」とか「喜び」といったものは、何もしなくてもいつでも手に入るものでもなく、時にこういうやっかいきわまる「むっつり大王」のような存在と闘う必要があるのだと思います。「平和」と同じです。何もしなくても「平和」があるのではなく、不断の努力が大事、ということは戦争に巻き込まれる危険がいっぱいの「安保法案」が通ってしまう最近の政治状況を見ればすぐにわかります。
最近「ぷかぷかに来ると癒やされる」「ホッとする」という人が増えてきたのも、社会全体がどこか息苦しくなっていることの裏返しのような気がしています。息苦しさを生み出しているのは何なんだろうか、という問いは、私たち自身がいつも考え続けねばならない問いだと思います。
「むっつり大王」は「生きる」「幸せ」をぶちこわす一つのシンボルではあるのですが、「むっつり大王」と向き合うとき、「生きる」の詩にある「かくされた悪を注意深くこばむこと」の「かくされた悪」に気がつくのではないかと思うのです。