第二期の「みんなでワークショップ」は谷川俊太郎の詩「生きる」を朗読することから始まりました。そのあと、それぞれの「生きる」の詩を書き、それをまとめて、みんなの「生きる」を作ったのですが、これだけでは芝居が立ち上がってきません。で、前回、一回目で書いた詩に対立するものとして「嫌なこと」とか「悲しいこと」で詩を書いたのですが、みんなが共有できる対立軸がなかなか見えてこなくて、どうしたもんか、と進行役をやっている演劇デザインギルドのせっちゃんと打ち合わせしました。
このクジラが対立軸を作るのに使えないかとも思ったのですが、1時間くらい話してもなかなかいいアイデアが出てきません。いや、いろいろアイデアは出てくるのですが、みんなを引っぱっていくだけの力のある物語がありません。う〜、困ったな、と思いながら、もう一度今回の詩の出発点に戻ります。
生きているということ、今、生きているということ、それは旅行に行くこと、映画に行くこと、ダンスをすること…、と、楽しいこと、うれしいことがずらっと並びました。それと対立するもの、みんなの思いをつぶしてしまうもの、それは何なんだろう、とあらためて考えました。
楽しいことが嫌い、うれしいことも嫌い、旅行も映画もダンスも大嫌い…そういう人はいつもむっつり顔、そうだ、「むっつり大王」っていうのはどう?って,カフェでお茶飲みながら、突然せっちゃんに聞いたのでした。
とにかく楽しいことやうれしいことが大嫌いで、生まれてこのかた一度も笑ったことがなくて、いつも「むっつり顔」。「木漏れ日がまぶしい」なんてうれしそうに言おうものなら、うるさい!そんなことはうれしくも何ともない!うれしそうな顔したこいつを逮捕しろ!なんてめちゃくちゃなことを言う「むっつり大王」なのです。
去年の『森は生きている』に,冬のさなかにマツユキソウが欲しい、などといいだしたわがままな王様が登場しましたが、「むっつり大王」はそれよりももっとたちが悪いというか、世界中から楽しいこと、うれしいことを奪い取ってしまいます。そして楽しいことがないので、みんな「むっつり顔」になってしまいます。
これに合わせて、ワークショップの中で、「むっつりの階段」というコミュニケーションゲームをやろうかなと思っています。横一列に7,8人並びます。いちばん端の人がちょっとむっつりした顔をします。その隣の人はその顔をしっかり見て、それよりももう少しむっつりした顔をします。その隣の人はその顔を見て、更にむっつりした顔をします。というふうに「むっつり顔」がだんだんエスカレートしていきます。最後はもう不機嫌が爆発しそうな「むっつり顔」になるというわけです。
その「むっつり顔」を今度は一人ひとり画用紙に描きます。どの顔がいちばん不機嫌かを争う「むっつり顔コンテスト」をやります。一等賞を取った顔をモデルに「むっつり大王」の巨大な人形を作ります。これは人形劇団「デフパペットシアターひとみ」の人たちに協力してもらいながら、高さ3mくらいの大きな人形を作ろうかなと思っています。不機嫌のオーラを辺り一面にばらまく「むっつり大王」の誕生です。
世の中から楽しいこと、うれしいことがことごとくなくなり、みんなむっつり顔になります。そのときにそれぞれが描いた「むっつり顔」の絵をお面にして顔につけます。
さて、「みんなの生きる」の詩にある楽しい世界が「むっつり大王」によって全部つぶされてしまった今、私たちはどうすれば元の楽しい世界に戻れるのか、どうすればむっつり顔から笑顔に戻れるのか、それが今回のワークショップのテーマになります。
「むっつり大王」をやっつけてしまえば、元の世界に戻れるのですが、暴力的に倒すようなことはしたくないなぁ、と思っています。もっとエレガントな方法というか、そもそもどうして「むっつり大王」などという勝手きわまる大王が現れたのか、谷川俊太郎の詩「生きる」の世界を阻害するような要因が、やはり今の社会にはあるのではないか、といったこと。そこを少し丁寧に見ていくような解決方法が探れないものかと考えています。
最近「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファンです」という人が増えているのも、結局のところ、社会がだんだん息苦しくなっていることが背景としてあるのではないかと思います。だからぷかぷかに来るとホッとしたり、癒やされたり、といったことがあるのではないか、というわけです。だとすれば彼らの存在そのものが、この息苦しい社会を救うことになります。
わんどにいる二頭のクジラさんにも登場してもらおうかと思っています。クジラが「むっつり大王」に体当たりしてみんなを救う、といった単純な話ではなく、青い空を大きなクジラがゆったり飛ぶと何かが起こるような、そんな物語です。
よく晴れた朝、こうやって大きなクジラがゆったりと空を飛ぶ日、街にはきっと何かが起こる気がするのです。むっつり大王の弱みにつながる何か、それをみんなで捜そう、というわけです。
と、「むっつり大王」を思いついてから一気にここまで書きましたが、ワークショップは多分思い通りには生きません。思い通りに行かないからこそおもしろいし、思ってもみない新しいものが出てきます。ただその過程は、とてもしんどいものになります。そのしんどさがみんなを磨きます。
とりあえず、この構想を元にせっちゃんにシラバス(ワークショップの進行プログラム)を作ってもらいます。