パン教室や、演劇ワークショップ、運動会などに参加しているhanaちゃんという女の子がいます。障害の程度で言えばかなり重度のお子さんで、言葉はなく、何を考えているかもよくわかりません。でも、そばにいるとただそれだけで、心が和みます。手を握って、hanaちゃんも握ってくると、気持ちが通じたみたいでうれしくなります。
hanaちゃんは一見何考えているかわからない感じですが、それでいて人をしっかり見ていて、初めてパン教室に参加した日、焼き上がったパンを食べるとき、隣に座ったコンノさんの膝の上にちゃっかりのっていて、お母さんはびっくりしたと言ってました。コンノさんの優しい雰囲気をしっかり見抜いていたのだと思います。もちろんコンノさんに断ってのったのではなく、気がついたら当たり前のようにコンノさんの膝にのっていて、コンノさんもまんざらでもない様子だったとお母さんはおっしゃっていました。
演劇ワークショップに参加したときは、紹介もしていないのに、テラちゃんと手を繋いで動き回り、hanaちゃんがごろんと寝っ転がると、テラちゃんも同じようのごろんとひっくり返っていました。テラちゃんはスカートはいていましたから、回りの大人は慌ててスカート押さえたりしてましたが…。
このあたりの関係がなんともおもしろいと思いました。テラちゃんが引っぱっていたのではなくて、hanaちゃんが引っぱっていたんですね。
hanaちゃんはテラちゃんといっしょに詩の朗読をしました。言葉は出なくても、この写真を見てわかるように、いっしょに並んで詩を朗読していたのです。hanaちゃんの立ち方を見れば、一目瞭然です。hanaちゃんくらい障がいが重いと、ふつうは演劇ワークショップの参加はむつかしいだろうな、と思ってしまうのですが、hanaちゃんはこうやって、ちゃんと参加していたのです。隅に置けない人だなと思いました。(お母さんは別のグループで朗読していました。)
hanaちゃんは不思議な存在です。全くのマイペースのようで、それでいて、場の雰囲気にちゃんと溶け込んでいて、やることはやり、おまけに人を和ませて、ああ、こういう生き方もあるんだ、と人を自由にします。
以前にも書いたことがありますが、私は養護学校で働いて何がいちばんよかったかというと、hanaちゃんのような人にたくさん出会って、私自身、生きることが自由になったことです。生きることが自由になって、人生が本当に楽しくなりました。彼らにはいくら感謝しても足りないくらいです。
hanaちゃんのお母さんが《世界がhana基準になったら》というすばらしい文章を書いていましたので紹介します。