ぷかぷか日記

足に感謝

 足がこのところ調子が悪く、日によっては歩き始めの一歩は、踏み出せないくらい痛い時があります。だからこそ余計に、66年間、私を支えてくれた足に感謝する気持ちです。

 教員になる直前、私は初冬の富士山で滑落事故を起こしました。頂上直下のかちんかちんに凍った雪の急斜面を仲間と登っていて、仲間が滑落し、ザイルで結び合ったまま、凍りついた急斜面を600メートルも滑落しました。幸い尾根が張り出しているようなところで奇跡的に止まりました。

 気がついたら、自分は上を向いて横たわっているのに、足は真横を向いていました。近くで雪上訓練をしていた人たちに助けられ、5合目まで運んでもらいました。出血がひどく、たまたま見ていた仲間の看護婦は、ひょっとしたらだめなんじゃないかと思ったそうです。そのときは例年より雪が少なく、5合目まで救急車が入ってきたので、本当にラッキーでした。下まで担がれて降りていたら、多分だめでした。

 富士山の麓の病院に入院中、たくさんの山の仲間が見舞いに来ましたが、私の最期を看取りに来たつもりだったようです。「まだ生きてるじゃん!」といいつつ、それでも一週間ほどは絶対安静で、みんな気が気でなかったようです。私だけが事態がうまく飲み込めず、なんで足が動かないんだ、なんで体が動かないんだと、ぶつぶつ言ってました。

 一週間ぐらいたって、もう動かしても大丈夫だろうと、ようやく東京の大きな病院にそろりそろりと運ばれ、手術を受けることになりました。氷にアイゼンが引っかかって、足首が回転し、両足首の関節が皮膚を破って外に飛び出してしまうほどのひどい骨折でした。両足首開放性脱臼骨折。こんなひどいのは見たことがない、といいつつ、医者は果敢に手術に挑戦してくれました。普通なら両足首とも固定されてしまうところを主治医はあくまで歩けるように手術してくれたのでした。

 9ヶ月も入院しました。その間にまた教員の採用試験があり、入院中でしたが、外出許可を取ってまた受けに行きました。1年前に2次試験まで受かっていたのですが、事故のためにすべてパーになり、あきらめきれずにまた受けに行ったというわけです。

 1次の筆記試験が受かり、2次の面接試験の時はまだ足首に体重がかけられない状態で、膝で体重を支える補装具をつけていました。もういかにも歩けません、て感じ。これでは面接ではねられてしまうと、補装具がわからないようにだぶだぶのズボンをはき、松葉杖は駅の大型ロッカーに預け、そろりそろり歩いて試験会場に行きました。たまたま試験官が去年の事故のことを覚えていて、

「あれ、もう大丈夫なんですか?」

「ええ、おかげさまで、もう、全然平気です」

と答えて、面接試験はパスしたのでした。

 

 退院の時、一度外に飛び出した関節は仮死状態になるので、手術で元には戻したが、年取ってくるとだんだんつぶれてくるので、痛みがひどくなります、といわれていました。

 その通りになったのが事故から20年たった50歳頃から。それまでは多少ぎくしゃくした歩き方ではあっても、なんとか歩いていました。ところが50歳を過ぎる頃から急激に痛みがひどくなり、歩くことが本当に苦痛になってきました。クッションの関節がつぶれてしまうと、骨と骨とが直接こすれることになり、そこが強烈に痛むのです。歩くのが辛いと、何するにもおっくうになるというか、ちょっと歩けばできることを、とにかく痛いので、やらなくなります。あれもやめよう、これもやめようと、人生がどんどん縮こまってくる感じがしました。いや、とにかく歩く一歩一歩が痛い、というのは、人生そのものが苦痛になったようでした。

 歩くというのは、人生の基本なんだと、その一歩一歩の強烈な痛みの中で思いました。

 ネットで足の治療をやってくれるところを必死になって探しました。見つけたのは人工関節の実績のあるなら県立医大。ところがその病院の教授に相談すると人工関節はおとなしい人向けて、あなたのようにいろいろ動き回る人はやはり固定した方がいい。固定しても日常生活にはそれほど支障はない。支障があるとすれば田んぼに足を突っ込むと抜けなくなるとかぐらいですね、という説明が気に入って、手術を即決。

 手術後は、それまでの痛みがうそみたいに消え、医者が神さまのように見えました。それが今から10年前。なんだか生まれ変わったような気分でした。痛みなく歩けるというのはこんなに幸せな気分になれるのかと思いました。

 その足がここへ来て、歩き始めの一歩がまた痛くなったのです。たいがいは少し我慢して歩くと、痛みは引いてくるのですが、先日の陶芸教室のあった日には、歩いても歩いてもなかなか痛みが引かず、陶芸教室どころではありませんでした。幸いしばらくして痛みは引きましたが、機会見つけてまた病院に行かないとまずいなと思いはじめています。

 

 大けがしながらも私の人生を支えてくれて足には感謝の一言しかありません。事故のあと、足を引きずりながらでしたが、ネパールまでヒマラヤの山を観に行きました。痛そうに歩いていたのか、現地の人が、見るに見かねて俺の背中に乗れ、と峠を担ぎ上げてくれたこともありました。人生40周年記念イベントと称して、組み立て式の自転車を担いでパキスタンまで行き、インダス川の源流地帯を700㎞もサイクリングしたこともあります。フィリピンまで芝居をやりに行ったこともあります。足のおかげで本当に楽しい人生だったと思います。

 私の足は十分に働いてくれました。そろそろ休ませてあげてもいいくらいです。でも、私にはまだまだやりたいことがあって、もうちょい、もうちょいと働いてもらっています。大事にしないとな、と時々襲ってくる痛みの中で思っています。

 

 

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