4月24日(金)にみどりアートパークでの「館長トークセッション」に高崎が出ます。
養護学校で仕事を始めた頃のことを書きます。障がいのある人たちと初めてであった頃の話です。
教員採用試験に合格し、面接の時、養護学校を希望するかどうかを聞かれました。
①養護学校がいい
②養護学校でもいい
③養護学校はいや
の三つの選択肢がありました。その頃は障がいのある人とのおつきあいは全くなく、よくわからないので、②の「養護学校でもいい」を選択しました。今から思えば、よくわからなかったとは言え、ずいぶん無責任な、ある意味失礼な選択だったかなと思います。でも養護学校というものに対してはその程度の意識だったのです。
しばらくして養護学校の校長から電話がかかってきて、さしてうれしくもない顔してあいさつに行きました。
学校が始まって、初日、ずいぶんドキドキしながら子どもの手を握ったことを今でも覚えています。障害児教育なんて勉強してなかったので、彼らにどう対応していいか全くわかりませんでした。土砂降りの雨の中、外へ飛び出したり、ボンドを口に入れてしまったり、毎日毎日想定外のことをやらかしてくれる彼らを前に
「ひゃ〜、どうしよう、どうしよう」
とおろおろするばかりでした。でも、この「おろおろ」が今から思えばすごくよかったように思います。
まわりの教員たちの多くはそれなりに障害児教育を勉強していて、それなりにうまい対応をしていたと思います。私は障害児教育に関する知識が全くなかったので、ほんとうに無防備の状態で彼らと向き合うことになりました。つまり、知識を通して、ダウン症の子どもにはこんなふうに対応する、とか、自閉症の子どもにはこうしたらいい、というものが自分の中になかったので、もう体当たりガチンコ勝負を毎日やるしかありませんでした。でも、その「体当たりガチンコ勝負」のおかげで、私は彼らと、ほんとうに人として出会えた気がしています。
人と人との出会いに知識はいりません。知識はかえって出会いを邪魔します。必要なのは、人として裸の状態で彼らの前に立つ、そのことだけだと思います。
おろおろしながら、どうしよう、どうしよう、どうしたらいい、どうしたらいい、と日々迷い、考え、格闘する中で、少しずつ彼らの良さ、すばらしさに体で気がついていったのです。
以前書いたけんちゃんの話をもう一度載せます。
子どもたちといっしょに手製の紙粘土で大きな犬を作ったことがありました。何日もかかって作り上げ、ようやく完成という頃、子どもにちょっと質問してみました。
「ところでけんちゃん、今、みんなでつくっているこれは、なんだっけ」
「あのね、あのね、あの……あのね」
「うん、さぁよ〜く見て、これはなんだっけ」
と、大きな犬をけんちゃんの前に差し出しました。けんちゃんはそれをじ〜いっと見て、更に一生懸命考え、
「そうだ、わかった!」
と、もう飛び上がらんばかりの顔つきで、
「おさかな!」
と、答えたのでした。
一瞬カクッときましたが、なんともいえないおかしさがワァ〜ンと体中を駆け巡り、
「カンカンカンカン、あたりぃ!」
って、拍手したのでした。
「やった!」
と言わんばかりのけんちゃんの嬉しそうな顔。こういう人とはいっしょに生きていった方が絶対に楽しい、と理屈抜きに思いました。
もちろんその時、
「けんちゃん。これはおさかなではありません。いぬです。いいですか、いぬですよ。よく覚えておいてね」
と、正しい答をけんちゃんに教える方法もあったでしょう。「先生」と呼ばれる人は大概そうします。
でも、けんちゃんのあのときの答は、そういう正しい世界を、もう超えてしまっていたように思うのです。あの時、あの場をガサッとゆすった「おさかな!」という言葉は、正しい答よりもはるかに光っています。こういう言葉こそ、人と人とがいっしょに生きていく時、必要なんだと思います。あのとき、あんな素敵な言葉に、そしてけんちゃんに出会えたことを私は幸福に思っています。
(自分の経歴を書いて、館長トークセッションの宣伝を書くつもりが、全く違う話になってしまいました。ま、でも、ぜひ来てください。おもしろい話がいっぱい出てくると思いますよ。)