ワークショップのドキュメンタリー映画は面白い映画ですが、ひとりで見て、「ああ、おもしろかった」で終わるのでは,ちょっともったいない気がしています。見終わったあと、多分、新しいことは何も始まりません。でも、何人かでいっしょに映画を見て、そこで見えてきたことをみんなで共有し、障がいのある人たちといっしょにできることをみんなで探したり、彼らといっしょに生きると、なんで「得」なんだろうねっていっしょに考えたり、彼らといっしょに簡単なワークショップをやってみようか、っていう話になったりすれば、きっと新しい何かが始まり、今よりちょっとだけ前に進むことができます。
そんな上映会のために表現の市場の本番舞台とそれに至るまでのワークショップの記録(メイキング映像)を合わせて3時間近い長編を、1時間から1時間20分くらいに編集し直してもらえないかと宮沢さんに依頼しました。で、昨日それができあがり、宮沢さんの説明を聞きながら映画を見ました。
できあがった新しい映画は表現の市場が43分、メイキング映像が88分、合わせて131分。2時間11分の映画を見たあとみんなで話し合い、というのは結構きついなぁ、と思いながら、ともかく映画を見ました。
ここはこのシーンがいいから短くできない、ここはこの人がこんな事をやっているから外せない、と場面ごとに宮沢さんの思いのこもった解説が入り、自分の撮った映像,被写体になった人たちがいとおしくてしょうがない、もう抱きしめたいような思いでこの映画作ったんだな、とあらためて思いました。
言葉がなかなか出てこない人がいます。でもみんなはせかすこともなく、言葉が出てくるのを待っています。カメラはその「時間」をそのまま写しています。ですから見る人も同じ時間を待つことになります。そうすることで、ワークショップの場で何が起こっているかを見る人にも共有して欲しいというわけです。
ここを編集して短くカットし、その場で起こったことをテロップやナレーションで簡潔に説明する方法もあって、見る方はその方が楽?なのですが、それは違うと宮沢さんは言います。同じ時間を待つこと、それが彼らといっしょに生きていく、ということであり,それを宮沢さんは伝えたいのだと思いました。
私は安易に1時間くらいに編集し直してください、なんて頼んだのですが、宮沢さんと話をしながら映画を見ているうちに、その作業は宮沢さんにとって とても辛い作業だったんだなと思いました。1分の映像に込めた思いを削ることの辛さです。申し訳なかったなと思います。
上映会は主催する方とよくお話をして、1時間半のメイキング映像だけにするとか、43分の表現の市場の映像もいっしょに見るとか、臨機応変に対応したいと思います。
上映をお考えの方は連絡ください。pukapuka@ked.biglobe.ne.jp
新しく編集したメイキング映像で面白かったのは、本番の舞台にも台本を手に持っていたリエさんの発見(!)です。リエさんは台詞がうまく言えるかどうか心配で心配で、本番の舞台にまで台本を手にあがっていました。誰もそのことに気がつかなかった、というところが、いかにもぷかぷかの舞台です。
映像でやたら矢印が出てくるので、なんだろうと思っていると、この台本でした。その台本が、ある場面からふっと消えます。あれ、どうしたんだろう、と思っていると、replayのメッセージが出て、映像が巻き戻されます。何かのアクションの時にリエさんは台本を床に置きます。それを見つけたぷかぷかのスタッフのオダさんが,さりげなく後ろに隠しました。ここはたまたまカメラに写っているのを宮沢さんが見つけたらしいのですが、オダさん自身はよく覚えてないそうです。床に置かれた台本に対し、頭よりも、体が自然に動いたのだと思います。
そういう誰も気がつかないようなフォローがたくさんあって、あの舞台は成り立っていたんだな、とあのreplayの場面を見て,ちょっとじ〜んと来てしまいました。「よく覚えてないわ」なんてさらっと言うオダさんも隅に置けない人だと思いました。