ぷかぷか日記

ワークショップの中での成長を言うなら

 昨日「利用者さんの成長」について書き加えた方がいいのではないか、という意見があったことを書きました。

 ワークショップは元々中南米、フィリピンで識字教育の中で開発されたメソッドです。文字を知らない人たちに、自分を取り囲む世界がどうなっているのか、働いても働いても暮らしが豊かにならないのはどうしてか、といった問題をワークショップを通して考えていったのです。

 そのワークショップの原点を学ぼうと2回ほどフィリピンに行ってワークショップをやったことがあります。ネグロス島の貧しい漁村に行ったときのことです。小さな教会の中で子ども抱えたお母さんたちがワークショップをやっていました。舞台で進行役が、

「右側に米軍、左側に民衆がいます。コリー・アキノ(当時の大統領)はどちら側にいるでしょうか?」

と、集まったお母さんたちに聞きました。口々に

「米軍側だ」

と言っていました。突然

「日本人のあなたはどう思いますか?」

と聞かれ、暗殺されたアキノ氏の連れ合いなので、当然民衆の側だろうと思い、そのように言ったところ、えらいブーイングを受けました。

 コリー・アキノ氏が大統領になってから数年後のことで、最初は熱狂的な歓迎を受けていたのですが、だんだん米軍側についていることが見えてきて、私が行った頃ははっきり民衆の敵だ、とみんな認識しているようでした。

 フィリピンの政治状況について全く知らなかった自分が恥ずかしかったのですが、とにかくそんな風にして文字を知らない人たちにワークショップを通して自分を取り巻く世界のことを伝えていることがわかり、恥ずかしい思いをしながらも、いたく感動したことを覚えています。フィリピンというのはすごい国だとつくづく思いました。

 このワークショップをやっていた人たちは、アキノ氏が暗殺されたとき、4車線の道路の真ん中で、抗議の芝居をやったそうで、そのときの写真を見せてもらいました。4車線の車を全部停めたりしたら、すぐに警察が来るんじゃないですか、と聞いたところ、民衆が取り囲んで守ってくれたというのです。もうびっくりしました。

 表現の自由を守る、自分たち文化としての芝居を守る、ということを、フィリピンの人たちは体を張ってやっているのだと思いました。日本であれば、変な人たちが道路で勝手に芝居なんかやってる、と警察に通報しかねないですよね。京都駅前で芝居やったときも、一応見張り役は立てていましたが、いつ警察が来るかとものすごく緊張していました。

 

 話がえらくそれてしまいました。

 ワークショップは自分を取り巻く世界を知るために使われていた話を書きました。そのワークショップが日本に入ってきた1980年代の始め頃、黒テントが始めて実践で使ったワークショップに参加しました。世界を今までと全く違う方法で見直す、ということもおもしろかったのですが、それ以上に自分がそこで自由になれたことがいちばん印象に残りました。

 ちょうど養護学校に勤め始めた頃で、養護学校の子どもたちといっしょにやれば、彼らともっと深く出会えるのではないかと思い、黒テントの稽古場まで何度か通い、養護学校の子どもたちといっしょにやるワークショップを提案したのでした。

 黒テントの人たちは、はじめの頃は渋々やってきた感じでしたが、1回やっただけで、彼らの魅力に気づき、用意したプログラムが彼らによってめちゃくちゃにされながらも、それにめげることなく、ワークショップの「腕」がぐんぐん磨かれてきました。すばらしい成長だったと思います。今、ワークショップのプロ集団としてやっている「演劇デザインギルド」の出発はここにあったように思います。

 地域の参加者が、障がいのある人たちのため、と思って参加したのに、気がつくと彼らに支えられていた、と発言し、このあたりから地域の参加者が目に見えて変わってきました。

 ワークショップの中での成長を言うなら、それはまずファシリテーター(進行役)であり、地域の参加者であったと思うのです。

 私自身、彼らの存在が必要、彼らといっしょに生きていった方が絶対にいい、と確信したのは彼らといっしょにワークショップをやったからでした。それが今のぷかぷかの理念の原点になっています。ですからワークショップでいちばん成長したというか、得したのは私ではないかと思っています。

 

 

 

 

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