宮沢あけみさんの編集した「表現の市場」の映像を見ました。生の体験とは違う形で、あのときの熱い時間が伝わってきました。
冒頭、「表現の市場」の前座としてtuji-kunの歌があるのですが、それに「立ってるだけで様になるのはプロの役者を超えていますよ」という私のインタビューが重なり、彼の存在感、「味」がよく伝わってきます。
それにしてもtuji-kunはいい味出してますね。この味はもっともっと生かさないと、彼と同時代を生きるものとして、ものすごく「損」だと思いました。私は彼らといっしょに生きていった方が絶対「得!」と思っているのですが、その「お得感」が彼のパフォ−マンスを見ているとよくわかります。
パンの外販先で彼のファンが多いのは、この「お得感」を感じている人が多いからだと思います。その「お得感」こそが、外販の売り上げを底上げしている、というのがおもしろいと思います。
売り上げの伸びはですから、「いっしょに生きていった方が得!」となんとなく思い始めた人たちが増えてきた、ということだと思います。商売がうまくいき、おまけにそう思う人たちが増えるということは、まさに一石二鳥。
養護学校の教員やっている頃は、彼らを社会に合わせていかないと、彼らは社会の中で生きていけない、なんて思っていて、社会のルールみたいなことを一生懸命教えていましたが、tuji-kunと売り上げの推移を見ていると、そのまんまでいいじゃん、なんて思うのです。
ワークショップとか表現の市場は、まさに「そのまんま」で勝負した「場」でした。社会のルールにあわせなければ、お互いが「楽」であり、お互いが「自由」になれます。そして「そのまんま」の彼らといっしょにワークショップやると、こんなにおもしろいものができあがる、ということを具体的に差し出せたと思います。
そのことが素直に伝わってくる映像だったと思います。37分間の舞台の時間を彼らはいっしょに生きて、いっしょに生きることで、すばらしい作品を作り上げていました。日経新聞の「ソーシャルイニシアティブ大賞」のいちばんの課題でもある「新しい価値の創造」そのものだと思いました。
いっしょに生きていった方がいいよ、というのは、「いっしょに生きていくことの価値」の提案でもある、と思います。どちらかと言えば、彼らとは別々の方がいいと思っている人が圧倒的多数の中にあって、これは今までにない「新しい価値」といっていいと思います。
30年ほど前、ワークショップで創り出したものは新しい文化だと言っていたのですが、何言ってんだ、という雰囲気で、誰も認めてくれませんでした。それがここへ来て「エイブルアート」などが新しい価値として話題を呼ぶ時代になり、時代がようやく追いついてきた、という感じです。
映像を見て発見したのは(というのも変ですが、感覚的にはそうとしか言いようがないのです)、表現の市場の終了後、宮沢さんのインタビューを受け、それがうまく映像の中に組み込まれていて、いいこと言うなぁ、と人ごとのように思ったことです。元々しゃべることは苦手で、ましてカメラの前でしゃべるとなると、しどろもどろになり、今回も、もう少しうまく言えなかったのかと、反省することしきりでした。ところが映像の中に組み込まれると、私のおしゃべりがしっかり生きていて、自分の言葉なのに、そうだよなぁ、と頷いたりしていました。
もう一つ。はっぱ隊の舞台の映像に、私がぷかぷか日記に書いた言葉が重ねられていて、これも自分で書いた言葉とは思えないくらい光っていました。やっぱり時々他人のフィルターを通して、自分の言葉を客観的に見る機会があった方がいいなと思いました。(ブログやFacebookでうれしい評価はいただいているのですが、映画になると全く違う感じでした)
今回宮沢さんからお預かりしたのは「表現の市場」で発表した舞台だけの映像でしたが、そこに至るまでのワークショップの映像がまとまれば、「いっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージが、もっともっと具体的に伝わる気がしています。
この映像をどんなふうに広げていけばいいのか、今、宮沢さんと思案中です。一人で見るのもいいのですが、できれば何人かで見ていただいて、いっしょに生きていくことについていろいろな感想が出てきたり、話し合いができたりする方がいいなと思っています。できれば私なり、宮沢さんをその場に呼んでいただければ、映像では語りきれなかった部分についてもお話しできるかと思います。
こんなやり方がいいよ、っていう提案がありましたら、ぜひお知らせください。