今日はtuji-kunの30歳の誕生日でした。朝の会でハッピィバースディの歌をみんなで歌い、小さな花束を贈りました。30歳の抱負は?と聞くと、パン屋でがんばって働く、なんて月並みなことを言っていたので、もっと大きい夢はないんですか?と聞くと、ちょっと考えたあと、50歳か60歳になったらほかの事業所で働く、とか言ってました。どうやらグループホームのあるところがいいようです。自分の将来をちゃんと考えているところがえらいと思いました。
tuji-kunとあえて名前で表現するのは、地域でそんなふうにちゃんと名前を呼んでもらえるような関係を作りたいからです。お母さんとも相談し、そんなふうにしました。
人と人との関係は、名前を呼ぶところから始まるのだと思います。T君やA君では本人を目の前にしても,そんなふうには呼べないし、何か変です。人と人との関係はできません。やっぱり「tuji-kunおはよう!」とか「tuji-kun今日もがんばってますね」って声をかけられる関係ができることが大事だと思います。障がいのある人たちが地域で生きて行くには、こうやって親しみを込めて名前を呼んでもらうことがとても大事な気がしています。
外販先でもtuji-kunは有名で、都合で休んだりすると、「あれ?tuji-kunは?」と聞いてくる人がとても多いです。私なんかが休んでも誰も聞いてきません。これも名前がわかるような関係があってこその話です。
個人情報の保護がうるさくなって久しいですが、名前を聞かれて、
「個人情報ですから言えません」
なんて応えていたら、多分こんなに親しみを込めた関係はできません。
障がいのある人たちの社会的な状況を考えるなら、親しみを込めて名前を呼んでもらえる関係を作ることこそ大事な気がします。