朝日新聞の記者が、子どもたちにオペラをプレゼントする、という企画を取材に来ました。( http://pukapuka-pan.hatenablog.com/entry/2014/10/29/004544 )
「どうしてそんなこと思いついたんですか?」
と聞かれたのですが、「思いつく」というのは、大概はさして理由もなく、ぽこっと頭に浮かぶから「思いつく」というわけで、あらためて「どうして?」と聞かれても、うまく説明できません。
それは、あの〜、とか言いながら、ぷかぷかをはじめた理由とか、ぷかぷかが始まってからのことをいろいろ話し出したら、話題がどんどん出てきて、収拾がつかない感じでした。
話しながらあらためて気がついたのは、ぷかぷかは、メンバーさんがいるからいろんな物語が生まれたということです。ホームページにぎっしりといろんな物語が詰まっているのも、彼らがいたからこそできたのだと思います。
その物語たちが、ぷかぷかを前へ前へと引っ張ってくれました。心がすさみがちな世の中にあって、彼らの生み出す物語は、ホッと肩の力が抜けるような、心がぽっとあたたまるような、世の中捨てたもんじゃないと思えるような、何よりも未来に希望を見いだせるような、そんな物語でした。
物語は立ちすくむような現実を少しずつ変えていきました。ここがすごい、とあらためて思うのです。物語は現実を変え、今日よりもいい明日を創っていく力があるのだということ。そんなことを彼らの物語は教えてくれました。
「声がうるさい」とか、「ウロウロされると目障り」といった辛い言葉をたくさん浴びる中でぷかぷかはスタートしました。苦情の電話が入るたびに、私はもう前へ進めない気がしていました。そんな立ちすくんでしまうような現実を少しずつ変えてきたのは、彼らの作り出す物語でした。
辛い言葉の一方で、物語にふれたお客さんや地域の人たちが少しずつ変わりはじめたのです。買い物に行ったメンバーさんが、手に持った5000円札を風に飛ばされてしまったとき、近所の人たちがいっしょに探してくれました。カフェで子どもの1歳の誕生会をやったあと、いつも笑顔のメンバーさんたちといっしょに写真を撮らせてください、といったお客さんもいました。いつもにぎやかなパン屋に来て、「これがいい、これでいい」といったお客さんもいました。ぷかぷかしんぶんを配りに行ったメンバーさんが、迷子になってウロウロしていたとき、「ああ、ぷかぷかさんね」って優しく声をかけ、お店に電話してくれた人もいました。
障がいがあってもなくても、それぞれに生き難さを抱えた今、彼らの作り出す物語には、素直に「いいね」って思えるような、明日も元気に生きていこう、って思えるような,そんな希望があるように思うのです。
「いっしょに生きていった方がいいよ」の物語は、まだまだ続きます。
この絵には、「よ〜し、明日も元気に生きていこう」って思えるような物語があるように私は思うのです。こんな物語を作り出す人は「地域の宝」だと思います。