障がいのある子どもたちの放課後支援をやっている方の話を聞く機会がありました。社会に適応できるように支援するのだそうで、とても熱心に取り組んでおられるようでした。ただ熱心に語れば語るほど、支援されている子どもたちは大変だろうな、という感じがしました。
知的障害のある子どもたちは、みんなとても自由です。私たちを縛っている「規範」というものがないんじゃないかと思うくらいです。そんな子どもたちが社会に適応できるようになる、ということは、相当我慢の上なんじゃないかと思います。
自分を押さえつけないと社会に適応できないとすれば、社会に適応できることをよしとする論理そのものが、本当に正しいのかどうかという問題が出てきます。あるいは社会そのものはどうなんだろう、という問題もあります。
私たちみんなが息苦しさを覚えるような社会であれば、その社会に障がいのある子どもたちを適合させることがすばらしい「支援」である、という論理は、やっぱりどうなんだろうと思います。むしろ社会を彼らに合わせた方が、お互いが生きやすくなるのではないかと思います。
社会を彼らに合わせる、というのは、そんな風にしてみんなが生きやすい社会に変えていく、ということです。
ぷかぷかで働いているtuji-kunはとてもおしゃべりです。パン屋のレジの側で、ずっとひとりでおしゃべりしています。一緒に山に登ったとき、苦しい上り坂でもずっとおしゃべりしていました。彼にとっておしゃべりは、いわば呼吸のようなものではないかと思います。
以前、彼のおしゃべりをやめさせようとしたスタッフがいました。彼は一言も文句を言わず、おしゃべりを我慢しました。ところが、しばらくして「疲れた」という言葉が頻繁に出るようになり、元気がなくなりました。家でも調子が悪いとお母さんはおっしゃってましたが、原因がなかなかわかりませんでした。そんな中で、おしゃべりをやめさせたことが原因じゃないか、という意見があり、おしゃべりを今まで通り自由にさせたとたん、元のtuji-kunに戻り、元気を取り戻しました。
障がいのある人たちを社会に適応させる、というのは、一見聞こえがいいのですが、当の本人にとっては私たちには想像できないくらいの負担を強いていることが、この例からはよくわかります。
tuji-kunはパン屋のレジの側でずっと独り言を言っています。よく通る大きな声なので、初めて来たお客さんはびっくりします。でもだんだんそのにぎやかさ、うるささにも慣れ、ぷかぷからしいBGMとしてtuji-kunnのおしゃべりを楽しんでいます。
いつだったかパン屋で打ち合わせをしていた営業マンが、
「この人のおしゃべりって、よく聞くとすごいことしゃべってるんですね」
と感心したことがあります。tuji-kunはいろんなことに興味があり、世界中の都市の名前、公園の名前、クラシック音楽の作曲家の名前、紅白歌合戦に出た歌手の名前、車の名前等々、エンドレスでお話が続きます。ですから丁寧に聞くと、私たちの知らないことがいっぱい出てきて、たまたま聞いていた営業マンもびっくりした、というわけです。
お客さんも含めたパン屋という小さな社会がtuji-kunにあわせて変わったということです。彼に合わせたことで、パン屋がとても居心地のいい場所になった気がします。