第4回目のワークショップ。最初にいつも自己紹介をするのですが、ぷかぷかのメンバーさんがずいぶん自由になってきたなぁという感じがしました。
ワークショップの自己紹介は自分が呼んでほしい名前と何か一つアクションをやり、それをみんながまねます。腕を回すとか、首をひねるとか、一歩前へ出るとか、簡単なアクションでいいのですが、最初の頃はその簡単なアクションがなかなか出てきませんでした。それが今回はアクションを楽しみながらやっている人がずいぶん増えてきた感じがしました。
簡単なアクションであっても、自分の心と体が自由になっていないと、なかなか出てきません。ワークショップがすばらしいと思うのは、この心と体が自由になる、ということです。
昔、竹内敏晴演劇研究所のワークショップを2年ほど続けたことがあります。週に3回も夜、東京は中野のスタジオまで横浜から通っていました。若かったですね。「心と体が自由になる」ってこういうことか、ってそのワークショップの中で実感しました。ガチガチだった心と体がワークショップの中で自然にほぐれ、生きることがすごく楽になった気がしました。
ちょうどその頃養護学校に勤めたばかりで、子どもたちとのはちゃめちゃな毎日が始まっていました。世の中にはこんな素敵な人たちがいたんだ、と感動の日々でした。こんなすてきな人たちを養護学校に囲って思うのはもったいないと、せっせと外に連れ出していました。公園でみんなで遊んだり、「あおぞら市」で手作りのうどん屋をやったり,まぁいろいろやりました。
一方でワークショップとの出会いがあり、彼らといっしょにワークショップやれば、何かとんでもないものが飛び出すのではないか、と考えたのです。
日常よりもお互いが自由になれる場であれば、彼らともっといい出会いがあるのではないか、彼らといっしょに芝居作れば、今までにないおもしろいものができるのではないか、と、その頃おつきあいのあった黒テントの稽古場(東京は練馬区の端の方で、今から思うと、よくあんな遠いところまで行ったなという感じです。若いというのはすごいことだとあらためて思います。)までワークショップの相談に行きました。最初は「なんで障がいのある人たちと一緒にワークショップやるの?」という雰囲気でしたが、とにかくしつこく稽古場まで通って説得。ここから養護学校の生徒たちと地域の人たちとのワークショップが始まったのでした。
お互いが自由になった場での彼らとの出会いは、予想をはるかに超えるすばらしいものがありました。ワークショップの場では、彼らはなくてはならない存在になっていました。今ぷかぷかで発信している「一緒に生きていった方がいいよ」というメッセージは、ワークショップという創造的な場で、なくてはならない存在として確信を持ったところから生まれたのでした。
話がずいぶん外れました。とにかくワークショップ4回目にしてようやくメンバーさんたちの心と体がほぐれてきたなって思ったのでした。昔瀬谷でワークショップやっていた頃、あおぞら市でござ敷いて人形劇をやったことがあります。台所で使うスポンジのたわしを使って人形を作り、ほとんど即興の人形劇をやりました。養護学校の生徒たちと地域の子どもたちだけで作ったのですが、ワークショップを何年か続けているとこんなことができてしまうのか、と感心したことがあります。(昔書いた『街角のパフォーマンス』にそのときの写真が載っています。太郎次郎社エディタス
http://www.tarojiro.co.jp に在庫があります。)
また話がそれました。自由になった彼らのパフォーマンスを見て下さい。