夕方、ワークショップの会場で使わせていただいている「みどりアートパーク」のスタッフの方がお店に見えて、
「ワークショップはこれからがほんとうに大変ですね」
と言ってました。
前回人形を作り、春、夏、秋、冬のイメージを作ったのですが、それをベースにこれからお話を立ち上げて行きます。
そこが、大変でしょう、と言うのです。確かに新しいお話を立ち上げていくわけですから、大変と言えば大変です。でも、その大変さこそがワークショップのおもしろいところで、
「いや、その大変さがいいんですよ」
と答えると、すごいですね、と感心していましたが、実際その大変さがあるから、ワークショップはおもしろいわけで、楽に芝居ができるのであれば、おもしろくも何ともないのです。
ワークショップはいつも一番最後に発表会をやります。お客さんに見せる、という緊張感の中で、作品に絞まりが出てきます。内輪だけの発表会では、いいものはできません。
なんでもそうですが、人はいろいろ追い込まれてこそ、いつにない力を発揮します。ですからワークショップも発表会の直前は、いつも一番大変で、一番苦しくて、それでいて一番楽しいときです。
本当にどうなってしまうのか、直前までわからなくて、いつもドキドキしてしまいます。でも、この胸のドキドキこそが、人生を前に進める一番の原動力だと思います。
一度はずむことを知った心と体はもう止まらない。と昔、学生の頃読んだウーマンリブの本に書いてあって、そうだよな、そうだよな、と大いに納得したことがあったのですが、今、突然思い出しました。
発表会の胸のドキドキを経験して、はずむような人生を切り開いていってほしいと思っています。
ま、それはさておき、実際これから大変です。「森は生きている」のお話をどこまで取り込むか、12月(つき)の神さま、マツユキソウ、わがままな王女、雪の森にマツユキソウを探しに行かされる継娘、森の動物たちなど、お話の手がかりはたくさんあります。
オペラシアターこんにゃく座のオペラ『森は生きている』で歌われている歌もいくつか歌いました。歌と手がかりがあれば、まぁ、なんとでもなるのですが、それでは何かつまらない気がします。
今回『森は生きている』を取り上げたのは、ぷかぷかが大事にしていることとどこか重なっている気がしているからです。『森は生きている』はわがままな王女がお正月のパーティにマツユキソウを飾りたい、と言いだしたことから物語が始まります。冬のさなかに、春に咲くマツユキソウがほしいと言い、そういうわがままが通ると思い込んでいる王女の発想(自然が自分の思い通りになると思っている傲慢な発想)は、冬にもトマトやレタスが食べたいと思う現代の私たちと同じです。
物語の中では、自然に逆らうと手痛いしっぺ返しが来ると、12月(つき)の神さまに静かに語らせるのですが、そういうことがどこかでうまく表現できれば、と思っています。
♩ 森は生きている/風だって雲だって/小川のせせらぎだって生きている
森は生きている/ 氷に閉ざされた/まつゆきそうだって生きている
森と空を/ 私は見た/ 生きているものたちの笑う声
話すことば/ 燃えている火よ/あふれる力よ
森は生きている / 森は生きている
そんな命たちをぷかぷかは大事にしたいと思っているのです。