ある助成金の贈呈式で、障がいのある子どもたちの支援をしているグループの発表がありました。個別支援計画をしっかり立て、支援目標もきちんと設定していて、とてもまじめに活動しているグループでした。ただ、支援、支援で、途中で、「もういいよ」という気分になりました。
人は誰かを支援するのが好きなんですね。生き生きとした表情で語れば語るほど、この人は支援することで自分を支えているんだと思いました。(この業界にはそういう人が多いですよね)
とてもいいことだとは思いますが、支援というのはやっぱり上から目線の関係で、一緒に生きていく関係とは少し違う気がします。ですから一緒に生きていくところから生まれる豊かさもどこかへ行ってしまいます。
藤沢周平の「暁のひかり」という小作品があります。窖(あなぐら)のような賭場で壺ふりをやっているやくざの男の小さな物語です。
明け方、賭場から出ての帰り道、足の不自由な少女に出会います。少女は竹の棒をついて一生懸命歩く練習をしていました。足がよろけ、倒れてしまいます。男は助けようとしますが、
「私にかまわないで、一人で歩く稽古をしているんだから」
と、断ります。その拒絶が男の胸に快く響きます。明るく澄んだ声音。
からだも竹もぶるぶる震えるほどの力を振り絞って少女は立ち上がろうとします。
「ほら、もうちょっとだ」
と、男は思わず声をかけます。倒れそうになったらいつでも抱き留められるように両手をさしのべます。
ついに少女は一人で立ち上がります。竹に縋って立つと、少女は額の汗を拭いて、男を見て笑います。
「よかったな」
男も笑います。
そんなやりとりが、やくざの世界に身を置く男のすさみきった心にあたたかな、幸せな気持ちを呼び起こします。少女に鏡を作ると約束し、堅気の世界に戻ろうとしますが、甘い結末はありません。
足の不自由な少女との出会いが人にもたらす豊かさを、窖のような賭場で壺を振るやくざの男の心の微妙な変化を通して、鮮やかに描き出しているように思いました。
障がいのある人たちと一緒に生きていく、というのは、私たちが見失っている豊かさをもういっぺん取り戻すことなのだと思います。そして、ぷかぷかはこういう豊かさの種を少しずつ街に蒔いて、街を耕していこうと思うのです。