2月8日、いよいよ手術の日。6時に起こされ、浣腸。
いつもならトレーニングで1階から7階まで駆け上がっていたのですが、今日はさすがにそういう気分にはなりませんでした。点滴の始まるまでの2時間半(手術の始まるまで残された貴重な時間)を丁寧に過ごそうと思いました。
朝の光が薄いだいだい色に輝いていました。その何でもない光が今日はきれいです。とてもゆったりした時間。ぼんやり遠くを眺めたはずが、やっぱりがんのことが気になって、そうなるとまた際限もなく、悪い方向へ気持ちが行ってしまいました。
「あー、まずい、まずい」と、キャン・マリー(あの頃凝っていた沖縄のロック歌手)のテープをかけました。いつも以上に彼女のエネルギーがキュ〜ンとしみ込んで、少し元気になった気分。
8時、かみさんが、少し遅れて両親が来ました。お互い緊張しているせいか、会話がぎこちなく、間を持て余しました。
8時半、移動用の狭いベッドが来て、それに移りました。やたら狭いベッドで、気をつけの姿勢でないと横になれなくて、もうそれだけで緊張してしまいました。点滴が始まりました。
9時、筋肉注射。軽い麻酔のせいか、意識が少しぼんやり。ガラガラ音を立てて手術室へ運ばれました。ぐんぐん動く天井見ながら、昔よく見た「ベン・ケーシー」っていうテレビドラマは、いつもこんな天井のシーンから始まったよなぁ、なんてふと思ったりしました。
手術室。真ん中に手術台。その上に大きなライト。ごちゃごちゃ並んだ機械。殺風景な壁。その中で、大きなマスクと帽子、それに青い手術着、といういわばスキのない完全装備、といった感じの人たちが黙々と動き回っていました。
その真ん中にパンツもはかずにペラペラの布をかけられただけで横たわる、というのは何とも心細い気がしました。おまけに両腕を手術台に縛り付けられて、絶体絶命!という雰囲気。
そんな中で突然表情の見えない完全装備の一人が
「昨夜はよく眠れましたか?」
と話しかけてきました。
「え?ええ、ええ、わりとぐっすり」
とかいいながらよく見ると、手術の説明をした主治医でした。
「あ、あの、手術のあと、切った胃を自分で見たいんですが…そういうのってアリですか?」(40年も僕のために毎日毎日休みなしに食い物を消化し続けてくれた胃です。黙って別れるのはちょっと寂しい気がしました。それとがんになった自分の胃をしっかり見ておきたいと思ったのです。)
そんなことを言い出す人なんて、多分今までいなかったんだろうと思います。ちょっと間があって、
「善処します」
という答えがあり、それを聞いてほっとしたあたりで意識がなくなりました